能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2013年10月28日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第43回「鹿鳴館の華」

 

もうおしまいでござる。

とんだ茶番。

くだらんねぇ。だいたい八重ちゃんはなんでそこに登場する?
 
いきなり

「腕相撲で決着をつけんべっ!」って…

なんだなんだなんなんだそりゃ?腕相撲で人の結婚決めていいのかよ。それでエリートの山川兄弟が、大山どんと八重ちゃんの腕相撲を見て大盛り上がり大会。
 
「うてーっ!!うてーっ!!」

って何をうつ?(笑)ネタドラマ?
 
くだらんね。もうこんなものが正統派歴史ドラマとして通るのなら…こんな茶番を出さなきゃ視聴率がとれないのなら、もう日本人全体が馬鹿になったとしか思えん!こんな展開、現代劇でもムリだろうに…。去年の巻き毛の平安姫も頭にきたけど、ほんとにこんなレベルで大丈夫なのか…。国営放送の歴史ドラマよこれ…。
 
こういうのさえなきゃまともなドラマなのに…。山川さんちがらみの話なんてよかったと思いますよ。だけど真面目なシーンも飾り程度にしか出てこないから流れが全然見えない。もったいないよな。ほんとに腕相撲はなんとかしてくれ…(泣)。
 
それにオイっ頼むからあの品の無い「I can’t stand him.」ぐらいなんとかしろっ(笑)。そんなくだけた言い回し、いくらアメリカでも130年前には使っとらんだろう!
 
まあいいや…あとは惰性で見る…。
 
ああ大河が壊れていく…。
 


2013年10月21日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第42回「襄と行く会津」

 
今日は泣きました。やっぱり会津編いいな…懐かしい懐かしい。何度かキマシタよ今日は…泣きました。

戦争からまだ14年しか経ってなくて、いたるところ焼け焦げた跡が残ってるのもリアル。そういえば戦争中はお城の中ばかりだったから、八重ちゃんの家や町がどうなったかなんて見てないんですよね。「町が焼けた…」という話で想像してただけ。

八重ちゃんの家なんて焼けてしまったかと思ったら角場の跡を発見。そこから八重ちゃんの子供時代の回想で涙。あああの頃はよかった…。

それからお吉が出てきてまた涙。お吉がみねちゃんを抱きしめてまた涙。徳造と揃ってまた涙。あーいいなこの場面。お吉と徳造を出してくれるなんて…嬉しい嬉しい。あの二人はどうなったかと思ってました。結婚してたそうです。はーこれは嬉しいエピソード。二人にまた会えて嬉しい。

それから、もちろんうらちゃん。あ…やつれてる。これは悲しいな…。でもみねちゃんが嫁に行ったと聞いて「よかったぁ」と喜ぶ。ここでまた涙涙…。長谷川さんが素晴らしい。

とにかくもう理屈じゃないんですね。戦争からいろいろとあってみんな別れ別れになった。どうしようもなかった…。たとえありえないようなドラマ上の偶然の作り話でも、とりあえずみんなまた会えたのは嬉しい
 
しかしあの後、うらちゃんはみねちゃんといっしょに住めばいいのに…と思ってしまった。まあいいんだけど。ともかくこれで会津の人々に会うのも最後かな…(泣)。
 
 
しかし八重ちゃんは会津に帰る時ぐらい着物を着ればいいのに。ちょっとヤナ感じ。実際にもあんなに四六時中洋装ばっかりでもなかったろうに。
 
ところでミルクセーキはキンキンに冷やしてバニラエッセンスを入れないと生臭いです。出来ればミキサーで氷と一緒にガリガリっとやったほうがいい。
 
ステマツちゃんは英語が上手ね。
 

 

2013年10月14日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第41回「覚馬の娘」


 
なんだか今週もどうも焦点の無い話になっちゃてるよなぁ。いや、政治関係で政府の人達が出てくると場の雰囲気はすごくいいんですよ。なかなかごつい雰囲気でいいんだけど、そもそもこのあたりの歴史をよく知らないので、ちょっとだけ触る程度に出てきてもよくわかんないや。だってここ数週間、政府関係なんて何もなかったもの。今週急に出てきてもわかんない。場面もいいし俳優さん達の雰囲気もいいんですけどねぇ。もったいないなぁ。

あとはみねちゃんか…。このままお嫁にいっちゃうの?ところで結婚式もなく旅立つ描写だったけど略したんでしょうか…。結婚せずに旅立ったら同棲で大変な問題よね…まぁいいか。


 

2013年10月7日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第40回「妻のはったり」







今週はこれにておしまい候…。


 

2013年9月30日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第39回「私たちの子ども」



あーここまで不快になると感想を書くのも難しくなるな…。じゃあ見るの止めれば?…なんですけど。ええ…ごもっともごもっとも…。しかしなぁ…これは黙っていられない。このドラマ、最初っから戦争物を扱うつもりでいたんですかね…。それもわかんなくなってきたよなぁ…。

…文句を言う前に、この京都編、ただ純粋にフィクションとしてはとてもいいドラマだと思います。八重ちゃんもいい人だしJoe君も優しい旦那様だし、新居の描写も楽しくて、なかなか雰囲気もいいと思う。結構楽しめる。

だけど、歴史を描くドラマなら話は別。歴史上の人物を描くのなら嘘を書いちゃいけない。それだけは基本。単なるエンタメドラマなら純粋なフィクションを別の時間帯にやって欲しい。そんなわけで今回もまた文句。


★まず八重ちゃん。

あの19世紀の古臭い時代に、男と同等に銃を持って戦った強い女性。そして戦争が終わったら今度は男女分け隔てなくガミガミ生徒を叱り飛ばす怖いオバチャン。現代から見てもあっぱれな変わり者。史実の八重さんて(旦那に)ハンサムウーマンなんて呼ばれていたけれど、実際は男みたいにハードボイルドな最強のオバチャンでしょ。あの時代に新しいものをどんどん受け入れて肉もガンガン食う、男も叱り飛ばす。会津戦争での自らの武勇伝を自慢げに語り、晩年は周りの迷惑も考えず茶道に凝って散財した(笑)、実にあっぱれな面白い女性だったんじゃないの…?

いや…こんな風に書くと、いかにも万人受けしそうにない可愛げのない女なんだけど、そもそも八重ちゃんの魅力って最初から全然可愛くないところでしょ。どうしようもないほど全てが型破り、その強烈な人柄がぶっちぎりですごく面白い…っていう女性じゃなかったの…?

テコ入れだかなんだか知らないけど、京都編から八重ちゃんを可愛い万人愛されキャラにしたのは作品として大失敗だと思う。ここは個人の弱小ブログなんではっきりといいます! 視聴率の低下を恐れて本来の八重さんみたいに型破りな面白い女性が描けないのなら、最初からそんな女性を主人公にするな! 新島八重さんに失礼です。会津編の八重ちゃんはかっこよかったのになぁ…。


★八重ちゃんの謝罪

なんで命をかけて自分の国と家族を守る為に戦った勇気ある誇り高い人物が、「親を殺された」と言ってゴネてる小娘に土下座謝罪するするわけ? この場面の脚本・演出ともにおかしい。もう八重ちゃんをどういう人物に描きたかったのかも全く分からなくなってる。

あのね、戦争は理屈じゃないの。国と国が殺しあえば死人が出るのはあたりまえ。それに八重ちゃんにとってはしっかりと理由のある戦争。彼女も命をかけて必死だったんです。八重ちゃんが頑張らなければ、あの小娘の父親に佐久さんやみねちゃんを殺されていたかもしれない。それを謝るなんて…あきれる。命がけで会津を守ったヒロインに謝罪をさせるのか。

たまたま事実を知らずに同志社にやってきた小娘が、父親をたまたま八重ちゃんに殺されていたのなら、無理に理解しあおうなんて思わず、さっさと薩摩に帰してあげればいい。そうすれば彼女も苦しまずにすむ。父親を殺された彼女が八重ちゃんを心から許すわけがない。あんな設定そのものが無理。まだ戦争から10年しかたってないのに…。

あの小娘もおかしい。戦争が終わった時点でまだ78歳だったはず。ほとんど父親の顔もおぼえていないだろうに、その後も延々と周りに会津への恨みを刷り込まれて未だにガタガタ言ってる。そもそも薩摩は官軍。勝った側の小娘が個人的な恨みを口にするのもおかしい。誇り高い武家に育った娘とは思えない。この娘の父親はきっとあの世で泣いている。そんなにいやならさっさと故郷に帰ればいい。(ちなみにワタクシの祖先は薩摩に近い官軍の側。会津の側ではありません)


★戦争とは…

国と国が理論でぶつかった事柄を、武力=力で勝敗を決めるのが戦争。戦争になったらもう理論は無いんです。結果は力のみ。だから国の一歯車として戦った個人には、どうしても理屈や感情で決着をつけられないことも出てくる。(そんな歪みも含めて)終戦は戦った国同士が公に条約を結び(敗者が裁きを受け)、無理にでも理屈で決着をつけて国として清算し、あとは国も個人も次の時代に歩を進める。それが公の戦後。

ただ個人にとっての話は別。個人にとっては(戦時中のあまりの混乱のために)戦後も理屈だけでは納得できないことも多く、戦争が終わった後にもいろんな複雑な感情が残るのはあたりまえ。感情や理屈で決着がつけられなくてもそれはもうしょうがないんです。本音では敵に恨みが残るのもやむなし。それなのに無理にTVドラマで分かりやすい結果を出そうとして、人物達に簡単に謝罪させたりしたら史実の人物達に大変失礼。なんて浅はかな。

個人にとっての戦争は、国のために戦った本人達が、長い年月をかけてやっと謝罪や悔恨などに少しずつ気持ちを落ち着けていくのが自然。それなのに10年そこそこ、まだ硝煙の匂いや家族を奪われた悲しさをよく覚えているような人物が、土下座をして自分の戦時中の行動を謝るなんてありえないです。ほんとに馬鹿な脚本だ。人の心を舐めてんのかと言いたい。


戦争とは、分かり合えるはずの人間達を、お互いに一生許せないような状況に追い込むほど残酷なもの。戦争を経験した人達の中には、一生をかけても気持ちの整理が出来ずに苦しむ人もいる。そんなに簡単に決着なんてつけられないんです。敵を殺さなきゃ自分が殺されていたんですから。

会津戦争はとにかく悲惨な戦争だったと聞いている。たった10年で「ゴメンネ」って言えば、明日から仲直り…なんて、ほんとになんて馬鹿な脚本だろうと思う。このような事柄を軽々しく扱わないで欲しい。

あの薩摩娘がゴネてるのならさっさと国に帰すのが一番自然。


個人の理性だけではどうにもならない極限の状況を生み出すからこそ戦争は悲惨。人物達の感情も含めて真実を描かなければ本当の反戦ドラマなんてありえないのに…。


2013年9月23日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第38回「西南戦争」

 
  
さて、終わっちまったな…という感じ。もうおしまいかな?これはしょうがないですね。だって歴史的大事件なんてもう無いんだもの。最後の大事件がこうもあっさりと終わってしまうともう楽しみがない。しかしそれを言うのなら

なんで今年は八重ちゃんが主役なの?

…という身も蓋も無い疑問が持ち上がるわけです。このドラマ、8月の会津戦争までは本当に素晴らしかったです。ところがその後、舞台を京都に移し同志社物語が始まると、もう会津のことなんて一切関係なくなってしまってるんですよね。影も形も無い。

8月まであれだけ丁寧に積み重ねた会津の話を完全にぶち切って、八重とJoeの愛の学園物語? げげ…冗談じゃないわよ。可愛さ余って憎さ百倍。なんでこういう事をしてくれるのかな…理解不可能。

会津戦争までがあまりにも良かったんで、当時「今後、西南戦争を同じような丁寧さで描いて、時代の性急な移り変わりの不条理さと無常観を描いたら神大河になる…」などと言っていたのですがそれもむなし。

山川さんとか佐川さん、藤田さん…その他の会津藩士達のその後の10年間を順に追って、彼らを西南戦争へ自然につなげればどれだけすごいドラマになったか…と思うと本当に無念。あーなんともったいない。


結局、ヌエちゃんは京都の新しい生活をぬくぬくと楽しんでいて、「西南戦争」と聞いても「なーんで戦になるんだ…」なんてぼけたことを言ってる。会津戦争では「死ぬまで徹底抗戦!」なんて言ってバンバン敵を殺してた人よ。「三郎の仇!」とかもっと喜ばないのかな。もう忘れちゃったの?キリスト教に帰依して心の持ち方が変わってしまったのならそれもよし。だけどそんな彼女の心の変化の描写なんて一切なかったですよね。

それに女子も学問さえすれば「会津戦争」や「西南戦争」を理論で納得できるのか…なんてそんなのできるわけがない。理論が通らないから戦争になるんです。そういうの、会津戦争を経験した八重ちゃんが一番解ってるはずじゃないか。辻褄があわん! ほんとにどうしちゃったんだか…。こんなことなら、山川さんあたりを主人公にして会津藩士達の話にしたほうがずーっとよかったです。


会津戦争以降の話の繋がりがほとんどないから、佐川さんの最後も、西郷さんの最後もなんだか唐突。西郷さんと山川さんが出会った場面なんてファンタジーだそうです。ありゃーどうしちゃったんかな…。おまけに木戸さんも大久保さんもナレーションだけでお亡くなりになった。あれだけ慣れ親しんだ会津編での人物達をあんなに簡単に消していくなんて…。

ともかく今回の西南戦争はものすごーく楽しみにしておりました。吉川さんの西郷さんもかっこよかったし、そこに佐川さんや山川さんがやってくるとなればこれは盛り上がらないわけは無い。それなのに、なんだかバラバラのエピソードをツギハギにしたような感じで、それぞれ数分出してパッと戦死させてもう終わり。あとは八重ちゃんが京都で「女子にも教育を」なんて言ってる。なんだかな…。

俳優さん達は皆それぞれ大変素晴らしいし、戦の場面での演出は決して悪くないので本当にもったいないです。本当にもったいない。せめてあと1週あれば…。

西郷さんも佐川さんもいなくなると本当に寂しい。


2013年9月15日日曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第37回「過激な転校生」



今日は…面白くなかったなぁ…。まず最初のJoe君のおはようチューでがっくり萎え萎え。なんだあれ…もう文句を言うのも疲れた。もうダメかも。

会津編の綺麗な空気が良かったからなぁ…比べるのもなぁ…なんですけど。ほんとにつまんなくなっちゃった。人物達の魅力がね…ないんですよね。話もとってつけたみたいで説得力なし。ヌエちゃんがベーコンを焼いて和んでる間に時代の動きも全く見えなくなった。

だってあの時代にとってのキリスト教のよさも全く描かれて無いし、Joe君は相変わらず現代のナヨナヨメソメソ男だし(あれじゃ生徒がついてこないでしょう)、熊本バンド君たちはただのめんどくさい有象無象だし、ヌエちゃん…もとい八重ちゃんはいろんなところでしゃしゃり出てきてうるさくなったし…。こりゃーもう見てられない(笑)。ほんとにテコ入れって必要だったの?

ネットでいろんな方々の感想を読むと、熊本さん達はもっと切実な訳ありの優秀な生徒さん達だったそう。荒っぽくて青臭くて鼻持ちならない若造でも、描きようでは魅力的に描けるはずなのに…。このドラマじゃ、ただのめんどくさい人達って感じですもんね。これから同志社の話が中心なのにあんなに魅力が無くて大丈夫なのかな。

それにJoe君のキャラ設定はあれでいいんですか? あのお方は史実でもあんなにナヨナヨしていたの? 現代のダメ男がそのまんま明治に現れたみたいで、ワタクシ全く受け入れられないんですけど(オダギリさんは嫌いじゃないですよ)。なんか見ててイライラする。子供に囲まれただけであんなに簡単にメエメエ泣く男はキライヨ。大人の威厳ゼロ。最近の日本の女性はあんなのに萌えるんですかね???? オドロキ

会津編は八重ちゃんをほとんど描かずに会津藩士達の話だったんだけど、あれがよかったんですよ。歴史の大きな流れも見えてドキドキしたし。八重ちゃんは、そんな時代に生きた芯の強い会津の女性という感じでよかったんですよね…。綾瀬さんはいい女優さんです。

これから西南戦争が終わったら、後は口うるさいヌエおばさんと、ナヨ島泣き虫Joe先生に、乱暴者男子生徒達のお話? ふーん…。

来週は西郷どんの最後うどん。覚悟して待て。


2013年9月9日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第36回「同士の誓い」



今週ちょっと面白かったです。やっとなんか…動き始めたかな…という感じ。

もう会津は過去の話で、明治の同志社誕生物語みたいなものになってるんで、頭を切り替えなくては。とりあえず物事が進み始めたんで歴史ドラマっぽくなってきた。もーJoe君が八重ちゃんにベタベタハグハグする話なんてどーでもいーんだもの…つまらんわ…。


そんなわけで大変大雑把なあらすじ。

187510月頃。八重ちゃん(綾瀬はるか)が女紅場で教えていると、突然解雇されそうになる。耶蘇教のJoe(オダギリ・ジョー)と婚約したのが問題らしい。槙村さん(高嶋政宏)は、もし八重ちゃんが「絶対耶蘇にはならん」と生徒の前で宣言するならば止めなくてもいいと言う。八重ちゃん「旦那様の信じるものをないがしろにすることは出来ない。」すると槙村さん「口先だけでいい…。」結局、曲がった事が大嫌いな八重ちゃんは生徒に向かって「この結婚は自分で決めた。嘘はつけん!」と宣言して女紅場を止めてしまう。Joeは嬉しい。
 
その頃、巷でも耶蘇教に対する町人達の抵抗は激しい。そこを大垣屋さん(松方弘樹)が取り繕ってくれる。元公家の屋敷で18751129、同志社開校。生徒数8人。
 
187613日、Joeと八重ちゃん結婚。八重ちゃんはキリスト教徒になった
 
その頃、鹿児島では西郷どん(吉川晃司)が学校を開いて生徒を教えている。大山さん(反町隆史)が西郷どんに政府に帰ってきてくれと頼む。学校には不満分子も多くて、このままでは戦争になるかも…と心配している。そこで西郷どん「枯葉が落ちにゃ次の花が咲けん…それでよか…」
 
 
なんだか…強い八重ちゃんが帰ってきました……というよりも、この時代の京都がどんな様子で、キリスト教や外国人がどれほど嫌われていたか…というのが興味深い。いやーちょっと前まで、キリスト教は禁止(タブー)であり、また尊皇攘夷なんて外国人を嫌う動きも多くあったわけですから…なるほどな…。そんなところに、(Joe君が日本人だとはいえ)外国人の先生がいて、おまけにタブーな耶蘇の匂いまでするといったら、そりゃー嫌がられて当然でしょう。このドラマでは、町の親分大垣屋さんがなんとなくまとめてましたけど、実際にどうやったら可能になったんですかね。そのあたりの歴史は面白いなと思った。
 
八重ちゃん個人の心境の変化というのはあまり見えませんでした。彼女も今まで仏教徒で仏様を信じていたでしょうから、Joe君の奥さんになる前に(タブーだった)耶蘇教徒になっていいものかどうか…の葛藤はあったんでしょうか。いや無いのかなー。
 
 
現代の日本人というのは一般的に「西洋はステキ…」みたいなノリがあるみたいで、誰でもウェディングを教会でやったりするんで(この八重ちゃんみたいに)機会さえあれば仏を捨ててキリスト教徒になれる日本人は結構多いんじゃないか…と思うんだけどどうでしょう。
 
実は、とある宗教の信者になるって、その宗教の中身を知れば知るほどなかなか簡単ではないと思う。私、メリケン人と結婚して西洋に住んで長いですけど、未だにキリスト教徒になろうなんて全く思わないです。無宗教でいろんな学説を自由に学べたほうがいいもんな…。西洋人でも現代は宗教にすがることは一般的ではないです。よほどでないと日常でも何かの宗教の信徒になる必要性はほとんどないと思う。(…ところでワタクシはメリケン人の旦那Aに和装をさせて、ワタクシも文金高島田+角隠しに白無垢で嫁にいったぞ。日本の神宮で天照大神の前で誓いの言葉…とかやったのだ。旦那Aは「刀は刺さなくていいのか…?チョンマゲのカツラは被らないのか…? サムライ、スゲー!」とノリノリだったぞ。)
 
 
しかし100年以上前の西洋人にとってのキリスト教は、そりゃーもー今では想像も出来ないぐらい大変大変真剣なものです。あまりにも真面目すぎて、よその国の文化を壊して侵略しても平気なぐらいのゴリ押しの宗教だったわけで…そのあたり、会津の女・八重ちゃんは平気だったのかどうか…知りたい。
 
最初はキリスト教云々というより、おそらく「一緒になる旦那様の信じることを共に信じたい…」とか、そういう日本の女性らしい古風な動機だったんじゃないかと思いますが、あれだけ戦争で人を殺した所謂罪深い人キリスト教徒になって自らの心を救おうとした…とか、そういう考えって彼女の中にあったんでしょうか。実に面白いお題だと思うんだけど、そんな尺はないな…。
 
 
最後にまたまたカメのダメ出し。

Joe君、もうやたら人前で人をハグハグしないでほし…。いったい誰があんな現代人みたいなJoe君の演出がいいと思ったんですかね…。時代考証全く間違ってますよ。いくらメリケン人だって100年前はハグハグなんてしません。あまりに気になったので現代のメリケン人の旦那Aに聞いてみたら、彼の祖父母だってそんなに人前でハグハグしなかったそうです…たった40年ぐらい前でも。

八重ちゃんの時代の英国はガチガチのヴィクトリア朝で、男女は信じられないぐらいガチガチに分けられてたような時代なんで、同時代のメリケンもそれぐらいかなりお堅い状況だったろうと思います。特に宗教関係の人なんてガチガチだったと思う。
 
…よって、Joe君が誰彼かまわずハグハグするのを見るとモ~我慢できん!(怒)チョー違和感…イヤデス。ハグハグアメリカ男への妄想を、明治のアメリカかぶれの日本人にさせる必要もなかろう…ほんとあきれる。どーでもいいけど。
 
 
 

2013年9月2日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第35回「襄のプロポーズ」



今週はなんにも起こらなかったですね。八重ちゃん(綾瀬はるか)とJoe(オダギリ・ジョー)のなれそめの回なので、まあそれもやむなし。

1875年、夏。八重ちゃんは女紅場で生徒を指導。そこへ時尾さん(貫地谷しほり)がやってくる。旦那さんは斎藤一→藤田五郎さん(降谷健志)。彼は東京の佐川さん(中村獅童)の下で警視庁に勤めているらしい。東京では尚さん(長谷川博己)が死去。哀しむ八重ちゃんの心に入り込むようにJoeが求婚。受け入れられる…。その頃Joeは外国人の宣教師を雇って学校を作ろうとしているが、許可が下りない。覚馬くん(西島秀俊)と槙村さん(高嶋政宏)との確執。

…と、こういう具合ですが…、まーとにかくこの製作チームは尚さんを引き摺りますね。長い長い。とうとう亡くなる瞬間まで描写。正直今週はもう出なくてもよかったんじゃないかと思った。

いや実は、前々回に八重ちゃんが東京の尚さんに会いに行くのも、無くてもよかったんじゃないか…と思うくらいで。だってあそこでわざわざ会いにいってるのに結局知らん顔してるから山本さんちが冷たい兄妹に見えてしまうんだもの。ネット上でどなたかがおっしゃってましたが、八重ちゃんと尚さんは会津城開城の回を最後として、後日八重ちゃんは、尚さんが東京で亡くなった知らせを京都で初めて聞き「八重さんには前を向いて歩いて欲しい…云々」というような尚さんのレターを読んでさめざめと泣く…ぐらいでよかったんじゃないかと思う。それじゃあ尚さんファンには物足りないかもしれないけど…。


わざわざ尚さんを引っ張ったもんだから、またまたぶしつけで超胡散臭いJoe君の求婚をそのまんま受け入れる八重ちゃんもいかがなものか…と思えてしまった。今回の八重ちゃんとJoe君のなれそめはかなり無理があるよなぁ…。

あのJoe君ピクニックデートも私としては苦しい…。だってさ、最愛の家族を亡くし、最愛の夫をつい先日亡くし…といろんな悲しい事が山積になっていっぱいいっぱいな女性に「向き合わなくちゃいけませんよ…」なんて、とんでもなく無神経でぶしつけな申し出だと思う。

まだ心の傷が癒えない人に「過去の事なんて忘れろ。地面に触ってみ。気配があるかも。ここに死んだ人の魂があって話しかけてくる…声が聞こえるだろ」なーんて言われても、頭おかしいんじゃね…?と思うのが普通。このJoe君のキャラには、現代のスピリチュアリズムが入っているんでどーも胡散臭いですな。よくあんな人との結婚を承諾できるもんだと思う。私、スピリチュアリズムは決して嫌いではないけれど、明治の時代に持ってこられると非常に戸惑いますね。

それにJoe君に尚さんの「会津戦記」を読ませて八重ちゃんの旦那二人を無理に結びつけるのももういい加減にしてほしい。Joe君が尚さんをどう思うのかなんてどうでもいいことですよ。なんだかもうベタベタ。

…とまあ、文句ブーブーですが…。


私は個人的には、歴史上の人物にあまり気持ちを入れ込まないんで、彼らの気持ちを察しはしても、その行動の善悪やいい人かどうかにはあまり興味がないんですよ。歴史上の人物もまた私達と同じ人間。環境も時代も違うんだから私達に理解できない事をしても別にいいんです。

それを現代人の嗜好に無理に合わせようとすると無理が出てくるのはあたりまえ。ここ数回のこのドラマを見ていると、どうも現代人の嗜好に合わせたキャラ作りで、人物像がおかしなことになってきているような気がする。会津編はよかったのにな…。


例えば、これは想像ですが(もしかしたら史実では)、覚馬君とうらさんが仲のいい夫婦である必要は無いし、うらさんと山本家の関係も、いつもわきあいあいとしているとは限らない。八重ちゃんと尚さんの夫婦関係だって、あれほど仲がよかったわけではないかもしれないし、また八重ちゃんとJoe君との結婚が(特に結婚当初)ラブラブである必要も全く無いわけですよ…当時の感覚からすれば。そもそも記録されている資料を見ても、山本家の人々はそれほどよそ者に優しい家族という感じもしないんですよね。尚之助さんやうらさんの扱いなんて特にそう。それに実際のJoe君は短気で、あんなに天使みたいじゃなかったそうです。でも…別にそれでもいいんですよ…話の筋さえ納得できれば…みんな必死であの激動の時代を生きていたんだもの。


むしろこのドラマの初期の、あまりラブラブではなかった覚馬君とうらさんの新婚当時の様子のほうがリアルでよかった。今回の八重ちゃんとJoe君だって、最初はとりあえずご縁があったから結婚(←当時の結婚の理由なんてそんなものが多い)。2人とも気性が激しいんでよく喧嘩もするけど、一緒になってみたら意外に相性がよかった…ぐらいでよかったんじゃないのかな。夫婦の相性のよさなんて時間をかけて分かることも多いんです実際。

…とは言っても、それでは近年の甘好みの視聴者にはウケないんでしょう。私が古臭いのかもしれないけど、昔の夫婦の絆なんて1020年かけて育てるのがあたりまえだったろうと思っているので、どうも最近このドラマも軽くなって拍子抜け。特に八重ちゃんにベタベタ触ってすぐ抱きつくJoe君のキャラ設定は論外。まだ明治の時代だぞ。結婚するカップルが必ずラブラブの相思相愛でなきゃいけないなんてなんと偏狭な考えなんだろうと思う。ブツブツ…。

ともかく生暖かく見守っていこう。

時尾さんと斎藤さんのなれそめは、あまり時間をとらなかったのにサラッとイイカンジ。よかったですね…。