直親が亡くなってしまった。ザンネンだのぉ。彼は見ているだけでもよかったんですけどね。いやーこのドラマはワタシにはかなり合わないらしくて、ここのところ毎回見るのが辛くなってる。このまま放置してもいいんだろうけれど、まぁ個人的な違和感はとりあえず書きとめておこう。大河ドラマだもの。
おそらくワタクシは年寄りなので感覚が古いんですよ。もう感覚がずれている…それはよくわかってる。しかし歴史時代劇には年寄りなりに希望するスタンダードがあるので、ちょっとそのあたりを書いておこう。
要は文句です。以前『花燃ゆ』では頭に血が上って文句をガミガミと書いたのですが、今回も怒りの元は同じようなもの。しかし今回は冷静にいこう。年寄りが今年の大河ドラマに感じる違和感を書いておこう。年寄りがこのドラマをなぜ酷いと思うのか、何が問題だと感じるのかを書いておこう。
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このドラマのこの時代、決して悪い題材ではないと思います。しかしながら今のところどうも上手くない。
主人公の直虎に関する資料が少ないらしいので、ストーリーをほぼ脚本家の力に頼っているらしいのだけれど、脚本の構成がどうも話に入りにくいように感じる。今川と伊井の確執に関しては資料もあるのだろうから描きようによってはもっと面白くなると思うのだけれど、どうも話がわかりづらいのは、無理して次郎/直虎の場面を増やしているからだろうか。もっと周りの政治状況を詳しく描写した方が歴史物語として面白くなるのではないかと思う。男をめぐって正妻と幼馴染の女が喧嘩するとか、幼馴染の別の男の嫉妬とか、そういうベタベタした話はどうでもいい。
脚本での人物達の言葉遣いはもっと気になる。特に男女の違いが無いのが気になる…おとわ/次郎/直虎は男言葉…かなり不快。個人的には論外。男女の差がはっきりしていた中世の武家で、女性が男のように話し振舞うのは大変気持ちが悪い。
言葉遣いがダメなら、人物の振る舞いにも違和感がある。脚本なのか、演出なのか、常識的な所作やマナーの指導がなっていないのかどうなのか。まさか主演の柴咲さんだけが悪いわけではないだろうけれど、目立つのはもちろん主役の次郎/直虎。
おとわ/次郎/直虎は女性として…いや人としての礼儀に欠けている。脚本が悪いんだろうし演出も悪い。ドラマを作っているスタッフに気付く人はいないのか。
今までおとわ/次郎/直虎でおかしいと思った場面
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・次郎が地に伏せて泣くしのに剣を放り投げてよこす(人に物を投げて渡すものではない。大変失礼)8話
・次郎が南渓和尚の手から(瀬名の)手紙を片手で奪いとる
(目上の方から物を受け取る礼儀も知らない)。7話
・瀬名に交渉に行って締め出されれば、扉をどんどん叩いて「開けろ」(男言葉)11話
・既婚の幼馴染(直親)と戸外で抱き合う
(感動する以前にあまりにも常識はずれの描写で鼻白む)11話。
・夜の戸外で一人、片手で杯を持ち酒を飲んで酔いつぶれる。12話
・今度は昼間から戸外で胡坐をかいて座り込み、片手で徳利を持ち大きなお椀で手酌、酒をがぶ飲みして酔っ払い、やってきた小野政次にグダグダ泣き声でくだを巻く(まぁとにかく酷い。品が無い)。12話
・お世話になった師の僧侶に槍を向け、土に突き立てて破損(槍は僧侶の私物)見苦しくわめきちらす。12話
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演技そのものにも問題がある。主演の次郎/直虎(柴咲コウ)は、暫く話が進んだ今も現代人がそのままコスプレしているようにしか見えない。時代劇というよりコスプレのコメディ演技。まだ人物が若いので、子役から受け継いで元気一杯キャラにしている…という説もあるが、もうそればかりにも見えない。一番の印象は、何をやっても何を話しても誰との会話も、グズグズグダグダ文句泣き言…わがままな子供がグズグズイヤイヤを言っているような声。非常に気持ちが悪い。子供時代の子役ちゃんのほうがキリッと元気がよかった。
将来の城主の威厳は? 今のところ、この主人公に対して「いいな」と思う描写がほとんど無い。そこがこのドラマの一番の問題。主人公をかっこいいと思えなければドラマとして大きな問題だろう。
(『花燃ゆ』のときもそうだったんだけれど)この主役のおかしなキャラ設定は、脚本と演出…プロデューサーの見せたい演出が、こちらの期待するものに全く合わないということなのだろうと思う。まさか女優さんだけのせいではあるまい。男言葉に、胡坐を書いて酒をがぶ飲みして酔いつぶれ、所構わずわめきき散らすみっともない武家の姫には今のところ全く心を動かされない。そもそも真に強い女性とはそういうものではないと思う。
残念なことにおかしいのは彼女だけではない。このドラマでは普段は上手い俳優さん達でさえ下手に見える。要するに俳優さん達に罪はないということだ。
もう亡くなった次郎の父親・直盛(杉本哲太)の力の入りすぎた演技。怒鳴るばかりの伊井直平(前田吟)。南渓和尚(小林薫)でさえ深みが無い。いつもは上手い女優さんのしの(貫地谷しほり)までありえないぐらい酷い。上手い俳優さん達でさえ下手に見えるのは深みのない脚本に常識はずれの演出だからなのか。
貫地谷さんのしののキャラもかなり苦しい。第8話の「子供ができない」と言って大騒ぎする彼女の描写はそもそも設定が酷い。武家の女のプライドも慎みもない。人前では笑顔…後で影で泣くことはできないのか。彼女の描写は女の醜い嫉妬ばかり。今回12話では、しのは夫の遺体に触れようとした次郎の手を払いのけ、夫が死んだのは次郎のせいだと泣きわめく。もう少し抑えた振る舞いは出来ないのか。
小野政次(高橋一生)の掌返しもどうもあっけない。話の流れでこの人物の人となりにもあまり踏み込んでこなかったせいか、なぜああいうふうに変わってしまったのかもわからない(理屈はわかる。ただ感情がついていけるような描写は少なかった)興味もわかない。掘り下げれば面白い人物だろうにもったいない。人物の内面の葛藤もあまり見えないのは脚本が薄いのだろう。演技を見れば高橋さんがいい役者さんだとわかるのに、肝心の脚本が薄っぺらで心に響かない。俳優さんがもったいない。
今回、斬られて帰ってきた直親の遺体が、屋内に入れられているのにもかかわらず筵を被せられていたのにも大きな違和感。国の当主の遺体を布団に寝かせることはしないのだろうか。それとも遺体は誰であれ穢れということなのか。私に中世日本の知識があるわけではないので、これはドラマでの描写が正しいのかもしれないが、どうも違和感があった。
予算も少ないのだろう。ついさっきまでガミガミ怒鳴っていた伊井直平は今回ナレ死。新野左馬助もナレ死。あっけない。
いろいろと文句ばかり書いた。
TVドラマというのは芸術表現のひとつの分野なので、普段はどんなに冒険的なものでもまず受け入れたいと思っている(好き嫌いはあっても)…自由な表現は芸術のため。しかし史実を元にした歴史ドラマには越えてはいけない常識の線というものがあると思う。自分の国の歴史上の人物達をたかがドラマに穢されたいとは思わないからだ。
近年の大河ドラマはだんだんおかしくなっている。もう否定できなくなってきている。『平清盛』では家臣が天皇に剣を向け、平安時代の姫は巻き毛。『八重の桜』の後半では、八重さんが腕相撲で誰かの結婚を決めるという茶番もあった。『花燃ゆ』の幕末のおにぎり娘は常識知らずで誰に対しても無礼者。今回の戦国の『直虎』は(女性が男性か以前に)人に対しての基本的な礼儀に欠け常識はずれ…。なんだか全体におかしくなっている。昔は考えられないような描写がドラマ内に増えてきている。
時代も変わり制作のスタッフも若くなって、もう昔の基本的な常識も礼儀もわからない人しかいないのなら、歴史上の人物を使ってくだらない恋愛ドラマなんかやらないで欲しい…というのは正直な意見。歴史上の人物達に失礼だと思うから。自分の国に過去に実在していた人々に対して、愛情も無い、敬う気持ちも無いのは困る…そもそも歴史の題材にも興味が無いんだろう。時代劇コスプレの茶番をやりたいのなら完全フィクションでお願いしたい。
最後は全体的な大河ドラマへの文句になってしまった。結局以前の大河ドラマで書いた文句とあまりかわらない。これが正しい意見なのか、それともただただ年寄りが「今の大河は昭和のドラマと違うからダメダメ」とくだを巻いているだけなのかは私にもよくわからない。時代が変われば常識も変わって行くものなんだろうね。まあいいや。せめてもう少し主人公には上品に礼儀正しくあって欲しいもんだ。以上。
ドラマを見ていて気持ちよくなったらまた感想を書くと思います。