能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年7月2日月曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第26回「平治の乱」



うーん…。たぶん次回からの戦にフルに時間をとるための、タメの回だったんだと思うけど、多少間延びした印象。

主役の清盛が、今もって魅力的でないのはかなり苦しい。40歳を過ぎた大の大人が自分の息子より馬鹿っぽく見えたり、緊急事態なのにしんみり思い出話をしたり、お友達が死んだと言ってメソメソ泣いたり…どうしたものかな。ちょっと前に貫禄が出てきたと思ったのに、また子供に逆戻り?そんな泣いてる暇があったら、さっさと作戦でも考えれば?泣いてる暇なんてないですよ。信西の首を見て怒りに体を震わせ、すぐに戦に向けて気持ちを引き締めるほうがずーっと本気っぽいのに。

脚本に主役の清盛を魅力的に描く意思が一切見えないのは困りもの。息子の方が10倍ぐらい頭がいい。彼をあれだけ切れ者に設定して主役の清盛をこれからどうするつもりなんだろう。あんなに感情的な、知恵も見えないお人好しに描いて、この後もそのまんまなんだろうか。あの台詞にあの人物設定じゃ、どんなに経験を積んだベテランの俳優さんでも清盛を魅力的に演じるのは難しいだろうと思う。「オレはタイラノキヨモリぞ。」なんていう台詞も何の意味があるのだろう。こけおどしだろうか。

確かに松山さんが若すぎて役が大きすぎるのではないかという心配もある…が、ちょっとまって。そもそも映画やドラマ作りって、俳優1人の力だけにたよって出来上がるものではないと思う。ドラマの良し悪しは監督や演出、脚本など、画面に出てこない制作の方々の力がすごく大きいのでは? もし監督に描きたい清盛像がはっきりとあるのなら、(極論を言えば)どんなに未経験な俳優さんを連れてきてもそれなりのものになるのではないか。衣装もメイクもそう。台詞もそう。もし俳優さんに威厳が足りなければ、まず演技指導をして声の出し方を指導し、カメラワークで大きく見せる…など、俳優さんの力以外のところで何とかすることももう少し考えられるのでは。そんな努力をしているのだろうか。


1960~70年代のイタリアにヴィスコンティという有名な映画監督がいたのだけど、彼の話をしたい。この監督さん、ド素人の男の子を顔が綺麗だというだけの理由でつれてきて、自分の監督する大作映画の準主役に抜擢したんです。現場では、このド素人の男の子に文字通り手取り足取り、指の上げ下げから首の角度にいたるまで、逐一演技指導をしたのだそう。その映画の名は『地獄に堕ちた勇者ども(1969年)』。顔の綺麗な素人の男の子の名はヘルムート・バーガー。映画も評判だったし、その男の子は、その後ヴィスコンティと組んで世界的なスターになった。

こんな例があるからこそ、ドラマや映画制作は面白いのだと思う。。知性を感じられない台詞とともに、いったい現場ではどういう風に清盛の役作りをやっているのだろうと思う。清盛を魅力的に見せるかどうかも、作り手の力次第ではないのだろうか。

俳優さん達は本当に頑張ってると思う。信西の阿部さん、おつかれさまでした。これで終わりなのは残念。「なんでもよーい」だけではなくて、もう少し踏み込んで知りたかった。義朝の玉木さんなんて、普段は細身の優男なのに、よくぞここまで漢な印象を作り上げたものだと惚れ惚れする。怒鳴りつける時の吼えるような声が素晴らしい。この人ももうすぐ退場ですね。この俳優さんには、またこういう時代劇の漢な役をやってもらいたい。歳を重ねていけばもっと威厳も出てくるはず。重盛の窪田さんも、若いのに危機感を上手く演じている。彼は顔がどこか緒形拳さんに似てますね。義平の波岡さんもヤンキーがそのまま武将になったような感じがいい。こんな触ると切れるような激しいタイプの武将はいっぱいいたと思う。深キョンにも威厳が出てきた。

さあ来週は男祭りか…。


追記;清盛と信西の最初の出会いが、穴の中の信西を清盛が助け出す場面だったと思うけど、これって今回の信西の最後の場面でオチをつけるためのもの? げげっ…。







2012年7月1日日曜日

The Jacksons - Shake Your Body (Down to the Ground) (1978)



マイケルさん。625日の彼の命日も過ぎてしまいました。



Michael Jackson & The Jacksons - Shake Your Body (Down to the Ground) 

Album:  Destiny
Released: 1978
℗ 1978 CBS INC.


彼のように、ステップを踏むだけで他人を踊らせてしまえる人もそういるものではない。だってほんとうに楽しそうにリズムをとるんだもの。ヨシ私も…と無意識に体が動く。やっぱりこんな人は他にいません。リズムの神様の申し子だったんです、ほんとに。この頃のビデオを見るとほんっとに楽しそう。音楽が鳴るとじっとしていられないんだと思う。体の芯がリズムに反応して止められないかのよう。すごいです。

マービン・ゲイのような声ではなかったし、ポール・マッカートニーやプリンスのような天才作曲家でもなかったマイケル。でも彼の体から溢れるリズム感だけはものすごかった。鞭がしなるように弾む体、映像が止まったかのようにぴたっと決まるポーズ。訓練に訓練を重ねて作り上げた動き。体中の隅々まで全ての筋肉と神経をコントロールしつくした彼のダンスは、まさに神の領域に届いていた。後から彼の物真似はごまんと出てきたけど、誰一人として彼にはなれなかった。

今思えば『スリラー』で世界中がこの人に狂ってしまったのも、彼にとっていい事だったのかどうかわからない。アルバム『スリラー』は私も買ったしあなたも買った。あの人もこの人も彼も彼女もみんな買った。プログレ好きの友人のレコード棚にさえ『スリラー』は並んでいた。街の店の客寄せのTVスクリーンに「スリラー」のビデオが流れるだけで、歩いていた人全員が立ち止まって人だかりが出来たくらいみんな夢中だった。当然みんなあのゾンビダンスを真似した。

だけど、あれ以来マイケルは幸せだったのだろうか…と思う。

ダンスはますます研ぎ澄まされて、誰も真似の出来ないものになったけど、彼独自のポーズ;「左手で軽く押さえた帽子」「蹴り上げる右足」「ムーンウォーク」「掴んだ股間」「開いた脚の角度、斜め上に上げた腕の角度」…ばかりが目立って体の芯から弾むような楽しいダンスはなくなってしまった。私達観客は、そんな彼を見ればうわーっと思ったけど、実際にはマイケル本人を見ていたのではなく、彼の演じる「マイケルのイメージ」を見て喜んでいたに過ぎないのではないか。彼はいい人だったから、客を喜ばせるために、そんなお決まりの「マイケルのポーズ」を常に完璧にキメていたけれど、若い頃の弾けるようなエネルギーはいつしか消えていたと思う。昔のような、ただ楽しいから踊っている感じがなくなってしまった。あれで楽しかったのだろうか。

もし『スリラー』があれほど売れなかったら…。もし彼がKING OF POPにならなかったら…。もし『スリラー』の後も上質のポップ、ダンス・アルバムをプレッシャーの無い状態で淡々と出し続けることが出来たら。(客の期待がそれほど大きくないからこそ)音楽的にもいろんな実験ができたら…失敗することも許されていたら。自分の楽曲だけにこだわるのではなくパフォーマーとして、他のアーティスト達とももっと積極的にコラボしていたら…。ソロでも活動するけどJacksonsとしても時々気楽にお兄さん達とやれるような立場だったら。もっと気楽にいろんなことを楽しめたら…。いつもあんなふうにキメポーズを作る必要が無かったら。 もし普通に結婚して子供も7人ぐらい作って、毎晩ビールを飲んでガハガハ笑うような親父になっていたら…。

こんな事を書くのも『スリラー』の後の彼の人生があまりにも多くの試練に満ちていたからだ。あれほどすごい才能の持ち主だったのに、人としてありえないほど純粋過ぎたのではないか。当時力をつけてきていた百戦錬磨のプリンスやマドンナのようなライバル達に比べて、彼は人としてもアーティストとしても、あまりにも幼い感じがした。そんな彼に世間やメディアは冷たかった。もし『スリラー』の成功がなかったら違う人生もあったんじゃないだろうか。

このビデオの頃の若いマイケルはほんとに楽しそうだ。目がキラキラと輝いて、歌うこと、踊る事を心から楽しんでいるマイケル。見ているだけで嬉しくなってしまう。そんな彼は本当に美しい。ずっと忘れない。ほんとうにありがとう。

 

2012年6月30日土曜日

日本人はスーパースターになれるのか-15

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察




これからのアジア・将来への可能性 -3-------------------------

15-●まとめ・日本人はどうする


長々と書いてきた。基本的に言いたかったのは、現在文化的に、西洋と東洋の間には大きな溝があるということだ。この溝は私達日本人が想像する以上にずっと大きい。アジア人のポップスターや芸能人が西洋で苦戦する理由もそこなのだ。


音楽関係で言うのなら(アジア人が)曲の良さやパフォーマーとしての質の高さ、技術的なレベルの高さなどで、たまになら売れることも可能だ。だが、そんなパフォーマー本人が言葉もしゃべれないのに憧れの存在=アイドル(偶像)として西洋人の心を掴むのは、ほぼ不可能に近い。過去にアメリカで売れた日本人の楽曲も、曲は売れてもスター本人達はその後、誰もが名前を知るようなスーパースターににはなり得なかった。


だからと言って悲観する必要もない。現状をしっかり見据えることで見えてくることもある。こんな現状だから何をすればいいのか…何を予測できるのか。現状を分かっていれば、かなうはずもない夢を無駄に追い続けることだけは避けることが出来る。西洋へどのように出ていくのかはこれからの課題だ。やり方はいろいろとあると思う。過去のYMOなどの前例から学べることも多いだろう。業界の方々がK-POPの戦略を度々口にするのも、K-POPの戦略がこういった厳しい現状に対して彼らが独自に出した一つの答えだからなのだ。日本独自の方法も見つかるかもしれない。


幸いなことに世界の状況は日々変化している。西洋も今までのように排他的・保守的なだけではやっていけないだろう。インターネットでは、国や人種の壁がほとんど無くなってきている。世界中の若い世代の人達は、彼らの両親に比べればずっと異文化にも寛容であるはずだ。アジアの文化が西洋に出て行ける可能性はこれからもどんどん増えてくるだろうと思う。


だからこそ日本の様々な分野の方々にも頑張って欲しい。大雑把な言い方をすれば、インターネットでもいい、初音ミクでもいい、侍でも芸術でも漫画でもアニメでも、ポップスターでも、ファッションでも…何でもいいのだ。今すぐに大きな結果は出ないかもしれないが、もっとどんどん出て行っていいと思う。この波に乗っかった方がいい。せめて今からでも乗っかる準備を始めた方がいい。いつかきっと将来面白いことになる日が来ると思う。


日本のポップスター達を取り囲む環境も、西洋での一時的な成功を唯一の目標にして大騒ぎをするのではなく、単純に(私達のスターが)国外に出て行くことのプロセスそのものを、ファンも本人達ももっと気楽に楽しめるような空気感になればもっといいと思う。もう西洋は特別な場所ではない。海外なんて1日もあれば飛んで行ける時代なのだ。


今はアジア人が西洋で売れなくても当たり前。それは日本人やアジア人がダメだからではない。問題は西洋=アチラ側にあるのだ。だからこそ、ただただ気楽に挑戦し続ければそれでいい。当たるか当たらないかだけを心配して、今出来るいろんな事を躊躇しているのがいちばんいけない。今はリスクを一切負うことなく自己のプロモーションが簡単に出来る時代なのだ。動画サイトなどでの世界に向けたプロモーションなんて、誰にでも簡単に出来るのだから。


西洋社会での立ち位置は、日本人でも他のアジア人でも状況は全く同じ。西洋には日本人だから特別だという考え方は一切無い。以前のように「日本人の1人のポップスターがビルボードチャートでどこまでいけるのか」だけを気にかけるのではなく、もっと大きな括りで、西洋に向けて吹き始めたアジアからの風の一つとして(自覚を持って)展開していくことを考えたほうがずっとチャンスはあるだろうと思う(まずアジア市場に展開するのも一つの方法)。日本のファンも業界の方々もそれを理解したほうがいい。もう時代は変わってきているのだ。





日本人はスーパースターになれるのか-14

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察




これからのアジア・将来への可能性 -2-------------------------

14-●これからのアジア

西洋で変わりつつある状況をまとめてみよう。


中国の経済発展にともなって、もっと認識される中国=アジアの存在
中国映画産業の発展
 究極の近未来的に進歩した日本から発信される面白いもの
インターネット上のグローバル化・若者文化の交流
大量の質の高いK-POP
それにアジア各国が政治的に安定し、少しづつではあってもそれぞれ独自の文化を輸出できるようになってきていること
世界でますます増え続けるアジア製の製品。


…等など、こんな様々なことが混ざり合って、西洋から見たアジア全体の印象が、20世紀の頃の発展途上のイメージから少しずつ脱皮し、何か面白いものとして認識されしつつあるらしいことが見えつつあるのだ。西洋も現実として、これから発展する中国とその周りの地域をビジネス上の大きな市場として無視することはできない。「対西洋」という図式で言うのなら、インドの成長が著しいことも無視できないだろう。こういう西洋以外の国々の発展の意味は非常に大きい。国の経済的な力関係が変われば、それに伴って文化の交流が起こることも必然だからだ。私たちは今歴史の転換の真っ只中にいると言っていい。過去も現在もハードウェア(車、機械等)しか西洋に売れなかったアジア。そんなアジアが西洋に向かってこれからソフトウェア(文化、娯楽)を売れる時代が来るかもしれない。


あと10年、30年、50年かかるだろうか、将来ビルボードチャートにアジア人のスターがヒット曲をあたりまえのように送り込めるようになるまでに…。アジア人のセレブリティーがハリウッド映画でその名前だけで客を動員出来るようになるまでに…。いやハリウッドではなく、中国の映画産業がハリウッド以上に巨大になって、独自に世界クラスのスターを生み出すようになるかもしれない。今アジアが出来ることは、頭の固い西洋に対して出来る限り挑戦し続けることだろう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる…いや上手くなければいけない。そうやって絶えることなく質のいいソフトウェアを発信し続けることによって、いずれ少しずつでも何らかの結果を出すことが出来るようになるはずだ。


中国映画もそう。K-POPもそう、日本のファッションもアニメも漫画もそう。こういうものが、ますます発展しつつあるアジアの経済とともに、アジアからの大きな風となって西洋に届けばいいと思う。いや現実には既に届き始めているのだ。




 

2012年6月28日木曜日

Perfume 3rd Tour「JPN」初回限定盤DVD オンライン分は売り切れデス


ぎゃーたまたまクレジットカードの更新の時期でもたもたしている間に、海外からネット上でも買える初回限定盤売り切れましたよ売り切れました。もうずいぶん前に気付いたのだけど、追加プレスがあるかと思い黙ってましたが、半月が過ぎてもまだ出ない。ユニバーサルさんオネガイ。もう一回私にチャンスをください。もう一回プレスして。

発売日12日で売り切れちゃうなんて(オンライン分)、プレス数が足りないとしか思えない。だって発売日の1ヶ月も前なのにもう転売のプレミアムの値段がついてるという噂。そんなのアリ?

もう一回出して下さいよ。海外組は店頭予約が出来ないんだもの。もうこれでおしまい? もう一回お願いします。通常盤なんて買わないもんね。だって限定盤ブックレット付きでしょ。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい…。

このツアーの動員数、およそ20万人だと聞いているけど、せめて20万枚はプレスしてるんだろうか。だって参加した人20万人に、チケット買えなかった人、物理的に行けなかった人、海外組…なんて考えたらうん十万プレスしても売れると思うんだけどな。
後の転売のプレミアムの値段を上げるためだけのような最近のPerfumeの初回限定盤。じゃあ最初からたくさん売りましょうよ。ドームの初回限定盤の中古なんて2万円もするのよ。だったら最初っからたくさん売った方がいいですよ。今の売り上げはプレスした分全部の値段が回収できるんだもん。オネガイシマス。6000円以上出しても平気な人が何十万人といるんだから、とりあえず売って売って売りつくして発売日を過ぎてから売り切れるぐらいにして下さいよ…。
ユニバーサルさん、オネガイ。もう一回チャンスをください。




日本人はスーパースターになれるのか-13

--西洋におけるアジア人の芸能活動への考察




これからのアジア・将来への可能性 -1-------------------------


13-●変わりつつあるアジア人の位置


実はそんな保守的で排他的なアメリカの大衆の意識がここ数年、ほんの少しずつではあるが、変わってきている。過去10年ほどの間に世の中は確実に変わってきている。西洋がアジアにも目を向け始めたのだ。ここでは、そんな動きを追ってみた。

近年、ビジネスの世界では中国経済の劇的な成長に興味の目が向けられている。例えばアメリカの知識層の間で、子供に中国語の個人レッスンを受けさせるのがここ10年ほど流行っていると聞く。世界的な投資家のジム・ロジャースは2002年に家族をつれてアメリカからシンガポールに移住した。彼の幼い娘は英語と中国語を流暢に話すそうだ。近い将来、ビジネスのチャンスを予想してのことなのだろうが、昔は考えられなかったことだろう。

そんな噂が聞こえるようなった頃から、中国の経済もますます発達し、国民の娯楽として中国国内の映画産業が急速に発達し始めた。現在中国は、国を挙げて映画産業をサポートしているという。その結果、質の高い中国映画も数多く西洋に輸出されるようになってきた。近年一番印象的だったのは『グリーン・デスティニーー/Crouching Tiger, Hidden Dragon』の西洋での爆発的なヒットだろう。チャン・ツィイーは文字通り世界的な大スターになった。その後中国映画産業は、既に世界で有名な香港スター達も取り込んでますます規模を拡大している。現在は西洋でも何ヶ月かごとに大掛かりな中国映画が封切られるようになってきている。

チャン・ツィイーが西洋でも名前を知られるようになった頃、日本を題材にしたハリウッド映画が次々にリリースされたのも記憶に新しい。『ラスト・サムライ』『ロスト・イン・トランスレーション』『サユリ』『バベル』これらの映画に描かれた日本人は、もう短躯で出っ歯で七三分けの分厚い眼鏡をかけた日本人ではない。驚いたことにこれらの映画にはハリウッドからの日本文化への賛辞、憧憬さえ感じられた。


ちょうどその頃日本映画も話題になった。『たそがれ清兵衛』がアカデミー賞の外国語映画賞ににノミネートされ、長編アニメーション部門作品賞を受賞した宮崎駿の名前は誰もが知ることになり、その後『おくりびと』は上記の賞を勝ち取った。


若い世代の間では、インターネット上で人種間の隔たりがなくなりつつある。アジア系アメリカ人の女の子のメーク指南の動画、東京ファッションに関するブログ(東南アジア人女性の個人のブログが世界中で人気らしい)。日本発のファッションや若者文化が少数ではありながらも、ネットなどを通じて世界に広まりつつあるらしい。 Perfumeの動画サイトでの人気もそのひとつになるだろうか。「Manga」「Japanimation」等の言葉も一般にも認識されるようになってきた。

それにここ5年ほどの(もっと前かな)非常にアグレッシブなK-POPの戦略。前述したように、彼らは非常に難しい市場に真正面から挑戦している。まだまだ大きな結果は出ていないらしいが、様々な戦略で大量に送り込まれるアジア人のシンガー達がいずれ何らかの形でマークを残すことになるのは明白だ。以前はアジアのものだからと興味を持たなかったアジア系アメリカ人が、徐々にK-POPを自分のルーツに近い誇れる存在として受け入れ始めている。それは、K-POPがアメリカのチャート曲を聴きなれた彼らの耳にも十分に受け入れられるレベルであること、それにK-POPの質の高い華やかなパッケージが魅力的なためだろう。すでにアメリカでは「K-POP」という言葉が認識されている。


それから西洋のブランドショップの広告にアジア人モデルが使われ始めたのも興味深い。現在、エンポリオ・アルマーニ(最新のキャンペーン映像は東京が舞台)と、ギリシャの宝飾ブランドのフォリフォリは、広告展開にアジア人モデルを使っている。もともとは中国の富裕層をターゲットにした広告展開なのだろうが、これらのイメージが西洋の市場にも使用されている。ブランドイメージの広告にこれほどあからさまにアジア人モデルが使われることは以前はなかったことだ(芸術的として人気だった山口小夜子を除く)。当然西洋のファッション誌にもアジア人モデルをよく見かけるようになった。

こういうアジア人モデル達が西洋の街角で壁面の広告のボード、雑誌に登場することの意味は大きい。こういうイメージは明らかにアジア人モデルを異国風でかっこいい存在として使っているからだ。それらが一般の西洋人に与える影響力を考えれば、世の中が変わってきていると言っても過言ではないだろうと思う。




2012年6月27日水曜日

NHK ドラマ10『はつ恋』第5回-True Heart



これはすごいです。このドラマはほんとにいい。すっかりはまりました。なのでうだうだ書きます。


まず、はっきりと言おう。このドラマの設定、全くありえないです。昼メロも昼メロ(いや見たことはないけど)のとんでもない筋書き。前回も言ったけど、妊娠までした初恋の元カレが現在おフランスの世界的な名医で、20年後、既婚の元カノの命を救う。その元カレは元カノのことが今も好き。(おまけに今回)2人は無事に別れるのに、1年後に今度は元カレがわざわざ静岡の元カノの元へ患者として現われる…。こんな話あるわけ無いですよーいい加減にしてくださいよー…。

それなのに、こんなに惹きこまれてしまうのは、脚本の絶妙な台詞、それから役者さんたちの演技が信じれらないくらい素晴らしいからです。これはいいものを見せていただいてます…。彼らがあまりにもリアルで、人物それぞれの人となりが信じられるから、ついつい真剣に見てしまう。役者さんたちがこんなに上手いと、もうそれだけで話に説得力が出てきてしまう。すごいですね。



潤ちゃん(青木崇高さん)。この役者さんは上手い。こういう人います。超いい人。この誠実な男性は、穏やかに毎日毎日こつこつと丁寧に幸せを紡いでいく人。こういう旦那さんを持った奥さんは幸せです。こういう人が女性を一番幸せにするの。派手ではないけど誠実。自分から奥さんを好きになって結婚した。そんな小さなことにも感謝しているような人。子供がステキな作文を書くと、つい嬉しくて泣いてしまう人。どちらかといえば自分が地味なこともよく解ってるんでしょう。だからそんな日々の幸せにほんのちょっとの陰りが見えると、心配で心配でたまらなくなるんですね。不安でしょうがない。その不安な表情が本当にリアル。全部信じられる。こういう人います。私は潤ちゃんが好き。こういう旦那様を不幸にしちゃあいけません。大切にしましょう。



緑さん(木村佳乃さん)。彼女もそんな潤ちゃんのことが大好きなの。それは間違いない。心から幸せな奥さん。この女性はそんな日常の、ささやかでも確実な幸せの価値をしっかりと解ってる。彼女も家族がなによりも大切なんです。この夫婦はお互いが一緒にいられることの幸せを感謝できてる夫婦。だから見てるこちらも幸せ。

じゃあなぜあの日(前回のキスシーン)わざわざ三島先生に会いにいったのか。下心があったのか…。下心なんてないです。もう一回だけ会いたかったっていうのはあるのかもしれないけど、肉食的に何かを求めて会いに行くような人ではない。ただ、うーん…運命というのか…抗いきれない力(フォース)ですかね…、無意識に引き寄せられるように会いに行ってしまう。 今回もまたそんな風に会いに行った。抵抗できないの。これがまたリアル。大人の恋愛物の一番盛り上がるポイントは、こういう抗い難いフォースに必死で抵抗している時です。

ましてや相手はいわくつきの初恋の人。これは辛い。携帯に送られてきた「出会ってから君を想わなかった日は一日もない」っていう三島先生のメッセージを、とまどい迷いながらも消去してため息をつく。これは消せないな…私なら。でも彼女は消すの。この真面目な女性は、自分の日常の幸せを守ろうと必死で抵抗してます。そんな緑さんの潔癖さやとまどいが、痛々しいほどリアルなのも、木村さんのような清潔感のある女優さんが演じているからなんです。ほんとに素晴らしい配役。(なんだか…延々と書き続けそうだ…)

今回の最後のシーンで、部屋にいた三島先生に対面した時の表情なんてすごいです。一瞬で額に血管の筋がぱーっと広がってびっくりしてるの。恐怖に近い表情。ほんとに驚いてる。こっちまで心臓がとまりそうになる。こんな演技を見せられると話に入り込まずにはいられないです。



三島先生(伊原剛志さん)。この大人の恋愛を成立させているのも、まずこの俳優さんの魅力、これにつきるでしょう。全身から滲み出るような男臭さ。こんな大人の男のかっこよさは、20代や30代の今どきのか細いイケメン君達が50人束になってもかなわない。お医者さんなんて知的な職業で完全にコントロールされているのに野獣みたいな感じ。レストランのバルコニーの手すりに肘をついた後ろ姿の白いシャツの背中がまた大きい大きい。実年齢が50歳ぐらいだからなのかウエスト周りにもそれなりのボリュームがあるのがまたいい。こういう人を見ると綺麗に引き締まった若い人の体なんてつまんないなと思う。

そんな大人のオヤジなのに、三島先生は緑さんといる時、表情が男の子に見えるときがある。レストランで緑さんに謝ってる時も、バス停で困ったように思いつめた表情も小さな男の子みたい。あー切ないんだろうな…。前回緑さんが最後に会いに来たときも、もう切なくて切なくてたまらない表情をしていた。想いを理性でやっと抑えてるんでしょう。そんな表情を見てるとちょっと可哀想にもなる。

この三島先生というのは突然やってきて、いきなり緑さんの心を乱すというそれはそれはもう大変な厄介者なんです。迷惑千万。でも潔癖で真面目な緑さんでさえも、どうしても抗えないような圧倒的な魅力を放っているわけです。伊原さんの配役は最高。こんなむせかえるような大人の魅力でこられたら誰も抗えません。だからドラマ。



こういう俳優さん同士が役柄で非常によく合っているとき、英語ではケミストリー(化学反応)などと言いますが、この2人にも間違いなくあります。切ないです。俳優さん達の繊細な表情の積み重ねが、話にどんどん臨場感を持たせます。すごいです。このドラマは一場面一場面が丁寧に丁寧につくられているんだろうと思う。素晴らしいです。

風景も綺麗。静岡の茶畑がとても綺麗。緑さんの自宅を出ると外に広がる茶畑のシーンがすごくいい。海を臨むバス停のシーンも、イタリアまがいのバルコニーのシーンもとても綺麗だった。このドラマ、綺麗なシーンが多いです。音楽もいい。

来週もまちがいなく大問題。手を重ねて筆記具を持たせてたり…ああいうのはもう作ってる人がしっかり確信犯でしょう。どうかこのまま、先に進み過ぎることなく抵抗し続けて欲しい。潤ちゃんを悲しませたくないわ。タイトルが「Endless Kiss」なんてかなり心配…前進しちゃいけませんヨ…。