能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2018年9月7日金曜日

TBS 日曜劇場『この世界の片隅に』第7話



録画を2回見た。急にやってきた戦争。日常に入り込んできた戦争を描く。

小さな命が消えた。その現場にいたすずと娘を亡くした径子。この二人の苦しみは私には想像することも出来ない。単純に悲しいとか辛いなどの言葉で表現できるものでもない。

終戦から70年以上が過ぎて、現代のほとんどの日本人は(視聴者も俳優も制作スタッフも)このドラマの登場人物達が見ているものを実際に知ることはない。経験することもない。ドラマ化するのなら当時を想像するしかないのだけれど、すずの苦しみは想像することさえ難しい。ドラマとしても表現がとても難しいのではないかと思う。


そんな難しい役をすずの松本穂香さんは本当によく演じていらっしゃる。彼女がぼーっとしているのは本当にどうしていいかわからないからだろう。下を向いて「すみません」「ごめんなさい」を繰り返す…それ以外彼女に何が言えるだろうか。

友人二人に外に連れ出されて「なんか…困った」「なんもできんけ」「居場所がない」と打ち明けて下を向く「消えてしまいたい」。幸子さんのスパルタ式慰めのあとの大粒の涙。三人娘と共に泣く。

夜の空襲で家に落ちた焼夷弾を見つめるすずの大きな目。日中の爆撃に仁王立ちで対峙する場面の表情。言葉は少なくても松本さんは目で演技をなさっています。


径子の尾野さんは時に上手すぎるのかもしれない。突然こぼれ落ちる涙はすごいけれど娘を亡くしたばかりの母親があれほど強く感情を外に出せるものだろうかとも思った。トマトをもらい空を見上げて泣き崩れる姿には違和感を感じた。もちろん上手いのだけれど。


アニメ映画を見た時に感じたのは「日常を飲み込んでいく戦争」のリアルな恐ろしさ。昨日まで普通の生活が続いていたのに、急に空襲や爆撃が始まって近所が戦場になってしまう。それが本当に怖い。

このドラマも同じ。六話まで比較的穏やかな日々が続いていたのに急に戦争が始まった。苦しみや哀しみが日常になる。非現実が日常になる。戦争とは実際にこういう感じだったのだろうと思う。

日常が突然非日常になる…空から爆撃があっても、庭では虫の声が聞こえたり雀がチュンチュンと鳴いている。はっとさせられた…そうだ戦争が始まってもやっぱり雀は鳴いているのだ。

また空襲が始まる。家に焼夷弾が落ちてくる。夜の呉への空襲で山の向こうの空が赤く染まる描写も怖い。そして街が焼けている様子に胸が苦しくなる。


その日、広島ではお祭りの準備をしていた。すずのお母さんも街に出かけた。呉のすずは広島に帰ろうかと荷造りをしている。そして閃光と地鳴り。義父に呼ばれて外に出ると屋根の上に大きな雲。 翌日になっても広島に何が起こっているのかはわからない。ラジオの放送もない。軍の実験なのか、それとも敵の新型爆弾なのか?


実はアニメの映画版を見て一番印象に残っているのはすずが鷺を追う場面です。この回にも出てきた。CGで少し描写が変わってましたね。アニメ版では追いかけるすずの前方を鷺が飛んでいるような場面だったと思うのだけれど、私はあの場面で泣いた。

空襲警報の鳴った朝、すずが庭に鷺を見る「ここは危ないからいてはいけん」と鷺を追う。広島なら安全だから広島に飛んでいけと言って鷺を追う。あの場面ではっとさせられたんですよ「戦争で傷つくのは人間だけではない」。戦争になれば野生動物も鳥も虫も近所の犬も猫もみんな巻き込まれてしまう。穢れることなく無垢な白い鷺を、人の作り出した暴力=戦争からなんとか逃がしたいと思ったのはすずの優しさ。しかし「安全なはず」の広島に次に何が起こるのかは現代の私達にはわかっている。それがあまりにも悲しくて悲しくて涙が出た。

来週は戦争が終わる。