2015年3月5日木曜日

NHK・戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第7回「昭和の虚無を駆け抜ける 文学者・三島由紀夫 」



三島由紀夫さんの事件は不思議でしかなかった。まだ私が小さかった頃のある日「有名な人がね、お腹を切って亡くなったのよ。怖いわね。」と母が事件の事を話してくれたのを覚えている。母もショックを受けて黙っていられなかったのだろう。幼児が理解するわけもないのに。

それぐらい三島さんの事件はショッキングな事件だったのだろうと思う。なぜあれほどの名声を得た作家があのようなことを…。

日本人は何をめざしてきたのか <知の巨人たち> 7 「昭和の虚無を駆け抜ける ~文学者・三島由紀夫 ~」を録画していたものを先日視聴。様々なアーカイブから数多くの映像資料、生前の彼を知る人物達へのインタビューで三島由紀夫氏の人物像を浮き彫りにする。2015年の今年は彼の生誕90年・没後45年なんだそうだ。

番組は、三島由紀夫/平岡公威氏を様々な資料から構築していく。祖父・父共に官僚のエリート一家に生まれたが、幼少時から虚弱。祖母に溺愛され過保護に育つ。幼い頃より頭脳は優秀だが体は弱く、青年になった頃戦争が始まっても戦地に赴くことは一度もなかった。戦後様々な傑作を発表。文壇の寵児として華やかな世界とも交わる。30歳ごろ「肉体改造」のためボディビルを始める。映画に出演。1960年代初期から作品は海外にも紹介されはじめる。1963年度のノーベル文学賞の有力候補6人の中にも入っていたことが近年明らかになった。60年代に政治活動に傾倒。1968年「楯の会」結成。19701125日自衛隊突入決行と自決。


番組は、そもそも三島さんのファンでもなく本もたぶん34冊ぐらいしか読んでいない無知な私には非常に見ごたえのあるドキュメンタリーだった。見てよかったと思う。よく知らないから想像だけでいろんなことを書けば、無知と阿呆を晒してしまうことになるので(笑)あまり長く書こうとは思わないが、印象に残ったこと、考えたことを自分のための記録として書いておこうと思う。

三島さんは政治的な発言や例の事件のために右寄りなあぶない人の印象があって、それにもかかわらず作品は世界的に受け入れられている…。その両方が一人の人物の中に納まっているのが以前から不思議でしょうがなかった。1970年頃にはおそらく冗談としか受け取られなかったであろう天皇礼賛、日本礼賛。最後には割腹自殺までしてしまう。どうしてそんなことを…。それなのに彼の文学は世界的に受け入れられている。1963年にはノーベル文学賞の有力候補6人の中にも入っていたという。

三島さんの本は20歳ぐらいの頃にいくつか読んでほとんど理解出来なかったと記憶している。谷崎潤一郎や太宰治、川端康成の方が面白かった。唯一『憂国』だけはすごい本だと記憶に残った。非常に色っぽい話でドキドキした。それから35歳ぐらいの時に一念発起、「三島由紀夫を読む!」と宣言し『仮面の告白』から始めたが、なんだかやたらと青臭い小説で困ってしまい、『金閣寺』も2ページ読んで文体に入っていけず断念。そのまま「三島由紀夫読破プロジェクト」は挫折してしまった。なさけなや。

そんな具合で三島さんの本には「世界的に有名な文学の巨人への興味」と「ゴシップ的な興味」で何度か挑戦するのだがいつも挫折。どうも相性が悪いのかも。『仮面の告白』で思ったのは、とにかく自分の事にしか興味の無い人の話ということ。10代に読めばハマったかもしれないが35歳で読むにはちと青過ぎる内容。当然なのだ。作品が世に出た頃の三島さんは24歳だったのだ。


この番組で見えてきた三島さんの輪郭は、一生を通して「自分とは何者か?」と真面目に真面目に問い続けた人。上流階級の出身。将来を約束された秀才。その自負もあってプライドも非常に高いのに、身体が自らの理想についていかない。子供の頃から病弱。戦時中は同世代の若者達が国のために戦って命を落としているのに、自らは戦地に赴くことさえ出来なかった。ある日思い立って自らの肉体改造を始める。それでも満足できない。

番組のタイトルは「昭和の虚無を駆け抜ける ~三島由紀夫 ~」とあるが、彼を知る人々のインタビューから聞こえてきたのは、三島さんがいかに自分の中の「虚無」と戦っていたかということ。もっとこうしたかった…もっとこうありたかった…そんな印象を受けた。

三島さんが20歳の時に戦争が終わる。そして世の中の全てが変わってしまった。自ら実戦を体験することも出来なかった。だからこそ三島さんは戦前の日本にロマンを見たのではないか。戦後25年で日本の経済は発達し生活は豊かになった。しかし彼が子供時代に信じることができた「絶対的なもの」=日本人としての誇り=日本人としての存在理由=日本人としての自信=日本人としての連帯感=信じられる日本…は、1970年頃までにはあとかたもなく無くなっていたのだろう。戦後日本人は、信じられるはずだった過去の「絶対的なもの」よりも、(アメリカが約束してくれた)信じられる自由を選んだ。

彼の内面では、政治でさえも非常にパーソナルなものだったのではないかと思う。高いプライド。思い通りにならない肉体。それなら改善する。戦争に負けた日本。我が国=日本。あの気高く美しかった日本がアメリカに追従したままでいいのか。物質の豊かさだけで満足していいのか。従順で凡庸な羊の群れになってもいいのか。自らの力で立つべきではないのか。このままではいけない、このままではいけない…。

我の国=日本を救う為に立ち上がらなければならない。そうして起こした事件。世の中を変えるというよりも、むしろ己(日本)の誇りを救わなければ…と非常にパーソナルな意図で起こしたのではなかったか。あの事件を敢行したのは、外に働きかけ具体的に世の中を動かそうとしたというより、自らに対しての美学を完成させたと見たほうが納得がいく彼の意識の中ではあくまでも自分が中心だったのではないか。

あれほどの知性を持ったお方が、なぜあの事件を起こしたのか、なぜあの時代に「天皇陛下万歳」だったのか…ずーっと不思議だった。この番組で少しだけアウトラインが見えた気がする。あれだけ世間を騒がせた事件を起こした人が、実は自分にしか興味がなかったとしたら驚きだ。


現代の芸術とは、自らを掘り下げてパーソナルになればなるほど、ユニバーサルになっていくというもの。三島さんが一人の人間として掘り下げた「オレの個人的な話」は、人類全体にも普遍のものであるかもしれない。

彼が個人的に悩み苦しみ、改善を試み、自らのテーマとしてパーソナルな問題を掘り下げれば掘り下げるほど、世界中の人々は彼を理解する。人として生まれた苦しみはどこにいてもほぼ同じだからだ。

パーソナルをつきつめればユニバーサルになる。


今年は三島さんが亡くなってから45年。もし今もお元気なら90歳だったそうだ。番組がほぼ終わる頃、「もし三島さんが今もいらっしゃったら今の日本をどうお考えになっただろう」と思わずにはいられなかった。1970年から45年。あれからいろんな事があった。70年代に育った子供達は皆平和主義のもと、左寄りの教育をされて育った。国=全体の事を考えるよりも、パーソナルな個人主義=個人がどう幸せになるか…を考えることの方がずっと大切だと教えられた。そして80年代後半のバブル。物質主義も頂点を極め、それから25年かけて日本の物質主義も徐々に落ち着いてきただろうか。若い世代の人達は今「日本に誇りをとりもどそう」と小さな運動を始めている。

もし三島さんがあの事件を起こさず、その後も昭和・平成の時代に文学者として活躍されていたとしたら、もしかしたら早い時期に悟りを開かれていたのではないかという気もした。仏門に入っていらしたかもしれない。自分に対して決してユーモアを許さず、傍から見れば滑稽に思えるほど常に真剣に自分とガチで向き合う生き方は、誰にとってもとても苦しいことだからだ。自負を捨てた時、人は自由になれる。

本当にいろんなことを考えさせられた番組だった。とにかく私はもっと本を読まなければ。このエントリーも殆どが想像なのでものすごくイイカゲンなものだ。せめて自己満足のウラをとるためにも、また間違いを正すためにもあと数冊は読まなければ。私もあまり若くはない。あと20年ぐらいだろうか。こんなブログで駄文を書いて喜んでいてはいかんのだな…。もっと本を読まなければ。 /(*´_`*)\