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2013年9月30日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第39回「私たちの子ども」



あーここまで不快になると感想を書くのも難しくなるな…。じゃあ見るの止めれば?…なんですけど。ええ…ごもっともごもっとも…。しかしなぁ…これは黙っていられない。このドラマ、最初っから戦争物を扱うつもりでいたんですかね…。それもわかんなくなってきたよなぁ…。

…文句を言う前に、この京都編、ただ純粋にフィクションとしてはとてもいいドラマだと思います。八重ちゃんもいい人だしJoe君も優しい旦那様だし、新居の描写も楽しくて、なかなか雰囲気もいいと思う。結構楽しめる。

だけど、歴史を描くドラマなら話は別。歴史上の人物を描くのなら嘘を書いちゃいけない。それだけは基本。単なるエンタメドラマなら純粋なフィクションを別の時間帯にやって欲しい。そんなわけで今回もまた文句。


★まず八重ちゃん。

あの19世紀の古臭い時代に、男と同等に銃を持って戦った強い女性。そして戦争が終わったら今度は男女分け隔てなくガミガミ生徒を叱り飛ばす怖いオバチャン。現代から見てもあっぱれな変わり者。史実の八重さんて(旦那に)ハンサムウーマンなんて呼ばれていたけれど、実際は男みたいにハードボイルドな最強のオバチャンでしょ。あの時代に新しいものをどんどん受け入れて肉もガンガン食う、男も叱り飛ばす。会津戦争での自らの武勇伝を自慢げに語り、晩年は周りの迷惑も考えず茶道に凝って散財した(笑)、実にあっぱれな面白い女性だったんじゃないの…?

いや…こんな風に書くと、いかにも万人受けしそうにない可愛げのない女なんだけど、そもそも八重ちゃんの魅力って最初から全然可愛くないところでしょ。どうしようもないほど全てが型破り、その強烈な人柄がぶっちぎりですごく面白い…っていう女性じゃなかったの…?

テコ入れだかなんだか知らないけど、京都編から八重ちゃんを可愛い万人愛されキャラにしたのは作品として大失敗だと思う。ここは個人の弱小ブログなんではっきりといいます! 視聴率の低下を恐れて本来の八重さんみたいに型破りな面白い女性が描けないのなら、最初からそんな女性を主人公にするな! 新島八重さんに失礼です。会津編の八重ちゃんはかっこよかったのになぁ…。


★八重ちゃんの謝罪

なんで命をかけて自分の国と家族を守る為に戦った勇気ある誇り高い人物が、「親を殺された」と言ってゴネてる小娘に土下座謝罪するするわけ? この場面の脚本・演出ともにおかしい。もう八重ちゃんをどういう人物に描きたかったのかも全く分からなくなってる。

あのね、戦争は理屈じゃないの。国と国が殺しあえば死人が出るのはあたりまえ。それに八重ちゃんにとってはしっかりと理由のある戦争。彼女も命をかけて必死だったんです。八重ちゃんが頑張らなければ、あの小娘の父親に佐久さんやみねちゃんを殺されていたかもしれない。それを謝るなんて…あきれる。命がけで会津を守ったヒロインに謝罪をさせるのか。

たまたま事実を知らずに同志社にやってきた小娘が、父親をたまたま八重ちゃんに殺されていたのなら、無理に理解しあおうなんて思わず、さっさと薩摩に帰してあげればいい。そうすれば彼女も苦しまずにすむ。父親を殺された彼女が八重ちゃんを心から許すわけがない。あんな設定そのものが無理。まだ戦争から10年しかたってないのに…。

あの小娘もおかしい。戦争が終わった時点でまだ78歳だったはず。ほとんど父親の顔もおぼえていないだろうに、その後も延々と周りに会津への恨みを刷り込まれて未だにガタガタ言ってる。そもそも薩摩は官軍。勝った側の小娘が個人的な恨みを口にするのもおかしい。誇り高い武家に育った娘とは思えない。この娘の父親はきっとあの世で泣いている。そんなにいやならさっさと故郷に帰ればいい。(ちなみにワタクシの祖先は薩摩に近い官軍の側。会津の側ではありません)


★戦争とは…

国と国が理論でぶつかった事柄を、武力=力で勝敗を決めるのが戦争。戦争になったらもう理論は無いんです。結果は力のみ。だから国の一歯車として戦った個人には、どうしても理屈や感情で決着をつけられないことも出てくる。(そんな歪みも含めて)終戦は戦った国同士が公に条約を結び(敗者が裁きを受け)、無理にでも理屈で決着をつけて国として清算し、あとは国も個人も次の時代に歩を進める。それが公の戦後。

ただ個人にとっての話は別。個人にとっては(戦時中のあまりの混乱のために)戦後も理屈だけでは納得できないことも多く、戦争が終わった後にもいろんな複雑な感情が残るのはあたりまえ。感情や理屈で決着がつけられなくてもそれはもうしょうがないんです。本音では敵に恨みが残るのもやむなし。それなのに無理にTVドラマで分かりやすい結果を出そうとして、人物達に簡単に謝罪させたりしたら史実の人物達に大変失礼。なんて浅はかな。

個人にとっての戦争は、国のために戦った本人達が、長い年月をかけてやっと謝罪や悔恨などに少しずつ気持ちを落ち着けていくのが自然。それなのに10年そこそこ、まだ硝煙の匂いや家族を奪われた悲しさをよく覚えているような人物が、土下座をして自分の戦時中の行動を謝るなんてありえないです。ほんとに馬鹿な脚本だ。人の心を舐めてんのかと言いたい。


戦争とは、分かり合えるはずの人間達を、お互いに一生許せないような状況に追い込むほど残酷なもの。戦争を経験した人達の中には、一生をかけても気持ちの整理が出来ずに苦しむ人もいる。そんなに簡単に決着なんてつけられないんです。敵を殺さなきゃ自分が殺されていたんですから。

会津戦争はとにかく悲惨な戦争だったと聞いている。たった10年で「ゴメンネ」って言えば、明日から仲直り…なんて、ほんとになんて馬鹿な脚本だろうと思う。このような事柄を軽々しく扱わないで欲しい。

あの薩摩娘がゴネてるのならさっさと国に帰すのが一番自然。


個人の理性だけではどうにもならない極限の状況を生み出すからこそ戦争は悲惨。人物達の感情も含めて真実を描かなければ本当の反戦ドラマなんてありえないのに…。


2013年9月29日日曜日

NHK 土曜ドラマ『夫婦善哉』 第2回



はぁー濃いですね。これは面白いな。こんなドラマなかなか無いですよね。そもそも今どきこんな話書けないと思う。やっぱりこれ戦前の話しですよ。もう熱い熱い。情が深い。今どきこんな男女いるのかなぁ…いるんだろうな…すごいよなぁ。

だってね、もし私が蝶子さんだったらあんなに献身的になれない! あんなに自分勝手な男、さっさと放り出すっ! 放り出すって…だってあの柳吉君、まったく甲斐性なしじゃないですか。蝶子さんが全部稼いで養ってるわけでしょう。あんな身勝手な男、面倒見る必要なんて全く無いんですよね。私だったらさっさと放り出す!

ところが蝶子さんは情が深い。情深く柳吉を愛して愛して愛しているから何をされてもやっぱりとことん尽くしてしまう。うわー私には出来ない…絶対出来ない。無理無理無理無理…だと思う。いやだからこそ蝶子さんて本当にすごいなーと思ってしまう。尊敬してしまう。


よく言うじゃないですか、とことん惚れた方が、惚れられた方より実はもっと幸せだと。人にどう思われようと一切気にすることなく、自分の好きな人のためにとことん尽くす事が幸せ、尽くせば尽くすだけ幸せ…なんていう話があるじゃないですか。えーでもそれって本当なのか…うわーわからないよう…。

だって現代の常識では男女共に皆自分勝手でしょ。言い方を変えれば皆「自分を大切にする」。…でお互いにいろんな意味で都合のいい男女が寄り添って同等に平等にお互いを尊重しあう関係…っていうのが理想なわけで…。このドラマみたいに、一人がとことん自分勝手でもう一人がとことん尽くすなんてもうありえないじゃない…一般的には。

そこのところがね…不思議。(私も含めて)合理的になりがちな現代人にはこういう話って新鮮だと思う。蝶子さんがあんなに自分勝手でダメな男につくすのを見て、ただただほぉーと感心する。「もしかしたら、ああいう情深い女性のほうがワタシよりも幸せなんじゃないのか…?」(笑)

だって蝶子さん、柳吉と一緒にいて怒ってない時は本当に可愛いんですよ。幸せそうなの。維康の番頭さんにお金をつき返した後、柳吉にすがって「もうどこにもいかない?」と確認すると「よかった…」と2回呟く。かわいい あーこの人は幸せなんだよなぁ。


尾野さん上手いですよね。今回ほんとにびっくりした。柳吉に病院にひき止められて蝶子が母の危篤に家に帰れない場面で、無言のまま目からぶわっと涙が溢れる。まったく表情を変えずに涙が落ちる。人って本当に悲しい時ってああいう風に涙が出るんですよ。私にも経験がある。実際泣き顔の表情なんて人に見られるために作るようなものじゃないかと思うくらい。悲しい時って涙だけ出る。尾野さんすごいです。

それから、突然キレて物を投げるのもすごくおかしい。維康の番頭さんにお金を投げつけ、温泉旅館での柳吉にお土産をバンバン投げる投げる投げる…あははははははは…すごくおかしい。大笑い。そしてその直後にいきなり柳吉の胸倉を摑んで床に押し倒し胸に顔を入れるんだもん…(大笑)ヤレヤレ…熱いな…。

尾野さん、いろんな表情が素晴らしいです。怒ったりいい女だったり可愛かったり…この蝶子さんは本当に魅力的。
 
 
森山さんの柳吉もいい。やっぱりいい。私はあんな扱いをされたら絶対いやですけど、蝶子さんが惚れてしまうのはなんだか分かる気もする。強気なばっかりで意地張ってるけど、すごく傷つきやすくて繊細。物事が上手くいかないと拗ねていじける。自分に惚れている蝶子にはとことん甘えて子供みたい。我侭ばっかり言ってる。
 
蝶子が母の危篤で家に帰ろうとするのを「水持ってこい」と止める場面、最高。いや…柳吉は最低ですよ。だけどあの場面の柳吉の気持ちはよくわかる。あの場面の直前、尋ねてきた妹に八つ当たりして怒鳴り散らしてるんですよ。せっかく訪ねてきてくれた身内に八つ当たりして嫌な顔されて悲しい時に、たまたま蝶子も家に帰るという。…で、急に心細くなったのね。いきなり「水持ってこい」と怒鳴る。うわーひどい。でも寂しいんだよなぁこの男。身内に見捨てられて寂しくて今度は蝶子の愛情を試してる「こいつも俺を見捨てないだろうか…」。馬鹿なヤツだまったく。しょうもない。でもなんだか哀れだったりもする。あのあたりの可愛らしさは絶妙。いや私だったらさっさと家に帰るけど。蝶子さんは優しすぎるの。昔の女なんですね。
 
森山さんは不思議な魅力。ルックスはすごく若くてちょっと子供っぽいのに、声が意外に低くていい。ぶっきらぼうな話し方もオヤジっぽくて男臭い。昔の時代の男っぽい。とても不思議。蝶子がこの柳吉に惚れるのは分かる気もする。
 
 
そんなわけで、惚れた男には愚かな女になってしまう可愛い蝶子さんと、薄い繊細な外見なのに妙に男臭くて我侭な子供みたいな柳吉の二人が面白い。見ていて飽きません。あまりに楽しいんでついつい長文。
 
周りの人々もいいですよ。柳吉の妹さんが病院の廊下で蝶子さんを「お姉さん…」と呼ぶ場面はどきっとしたし、子河童がなんとか蝶子さんを助けようとする場面もいい。火野正平パパは本当に温かくて優しい。あのぼそぼそっとした声で「親が子を思うのはあたりまえ…」も泣ける。

カメラもいい。祭りの後、蝶子と柳吉の部屋を窓から覗いた構図も面白い。右に朝顔。真ん中に柳吉のお尻。左に床に座った蝶子。ぐずぐず言ってる。翌朝の維康の番頭さんとの緊張感溢れる場面。カメラが上から横から後ろから無言の二人をとらえる。ポンポン変わるカメラがいい。蝉の鳴き声も急に止まったりする。演出は真面目というより、コミカルで漫画みたいなんだけど、リズムがすごくいい。楽しくて飽きない。そんな場面が沢山あった。
 
最後の温泉での喧嘩の後で蝶子が柳吉を押し倒した場面で「別れりゃそれですむものを…」というナレーションにうんうんとうなずいて「ったくしょうもないな…」と苦笑しながら、やっぱり次回が楽しみ。
 
 

2013年9月26日木曜日

映画『Spectacular now』:アメリカの高校生

 
 
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The Spectacular Now2013年)/米/カラー
95分/監督:James Ponsoldt
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佳作…かな…? 
 
この映画、アメリカでは批評家達に大絶賛されてます。とことん大絶賛です。「まあまあ」の評価をしている批評家を見つけることのほうが難しい。
 
内容は可愛らしい青春物。普通の高校生のお話。主人公の男の子は(イイ奴だけど)アホなパーティー野郎、女の子はノーメークの地味なオタク女子。そんな二人が出会って仲良くなる。あ…ありそうありそう。
 
この映画の一番の売りはリアリズムです。ふつーの高校生。ほんとにこういう子達、いる。全然ハリウッド的な華が無い(笑)。
 
そういえば、以前「The Perks of Being a Wallflower」という映画がありましたが、あれと比べると分かりやすい。あの映画は、ハーマイオニ…エマ・ワトソンさんや超エロ顔の男の子がいたりして、なんだか高校生なのに皆やたらとゴージャスで「ほんとかいな…」という感じでしたが、この映画の高校生はちっともゴージャスじゃない!
 
最初の30分ぐらい、あまりにも主演の男女がふつーの地味なルックスなんでなかなか気持ちが入らなかったぐらい(←ワタクシはとても浅はかな映画ファンである)。彼らの行動も台詞も環境もなにからなにまでが地味で普通。
 
しかしそれこそがこの映画のいいところ。あのリアルさを表現できる若い役者さん達もすごい。リアルだからこそだんだん気持ちが入ってくる。ほんとに可愛いんです。若い二人が微笑ましい。普通のルックスの普通の子達が、普通に仲良くなって、普通に戸惑って、普通に悩んで、普通に成長する…そんな映画。
 
 
★ネタバレ注意
 
 
そんなリアルな普通の高校生達の話にどんどん引き込まれていくんだけど、あまり大きな事件が起こるわけではない。何かあっても、誰もが通る成長の過程での悩みやとまどい…といったレベル。もちろん本人達には大問題なんですが。
 
二人の高校生が卒業前、人生の階段を一段上がる…一段二段と戸惑いながら上がる様子を温かく見守るような映画。
 
…しかし正直こういう映画は、同年代の高校生が見たほうがいいと思う。私は彼らの親の世代なんでつい親の視点で見てしまうので、感想も「可愛い・微笑ましい」などと書いているけれど、現役の高校生が見ればこの映画はかなりぐっとくるんじゃないかな。共感できる年齢の若い人達が見ればきっと心に響く作品だろうと思う。映画にも見るべき年代が確かにありますよね。
 
 
ところで、全編を通してアメリカの高校生はあんなにお酒を飲んでいるのか…と日本の方々はびっくりされるかもしれませんが、まぁあれは極端なキャラ設定でしょう。主人公が常に飲んでるので嫌な思いをされる方もいるかもしれませんが、キャラ設定なのでそこを非難しても野暮というもの。いや…まあ車も運転してるし、大変な問題なんですが。
 
この映画でのお酒が、自立の象徴として、また主人公の根本的な問題として印象的な扱われ方をしているのも興味深い。お酒が、親からの自立、開放、自由、成長、大人、堕落、親との繋がり、問題、将来…といろんな意味を持つんだけど、お酒に厳しいアメリカでこういう話が語られるのもおもしろい。それにしてもアメリカの高校生はずいぶん大人ですね。
 
 
ただ最後に一言、話の最後の収まり方は多少安易だなとも思った。…なんというか…ありがち。というのも(どのような理由であれ)あれだけ長い間怠惰に自分を甘やかしてきた人物が、一つや二つの理由だけで、突然明日から完全に更生するとも思えないからだ。そのあたりは追求せずにさらっと終わってしまったけれど、最後の女の子の微妙な表情を見てもハッピーエンドとは限らないのだろうと思う。結果は観客が勝手に思いをめぐらせられるよう意図的にあいまいにしてあるのだろうなとも思った。
 
等身大のアメリカの高校生の映画。アメリカの高校生がどんなものかを見るにはいい映画。このリアルさが心に染みる若い人は多いと思う。
 
 
 
 

2013年9月25日水曜日

Perfume:Vogue Japan+Tiffanyのモデルらしいぞ

 
 
すわ、一大事! えらいこっちゃ…。ほぉー…
ティファニーと言えばバブルの香り…。
 
Perfumeもとうとう手の届かない女になってしまうのか…いやそうでしょうそうでしょう。手の届かない極上の女…3人ともそれにふさわしい大人の女性になりました。
 
 
おおぉっ…!

最近は本当にいい感じに大人のイメージへ移行してますね。「未来のミュージアム」の後で吹っ切れたのか…。
  
ラジオで話してるときは今までと変わらないおもしろ3人娘なのに、映像や写真での彼女達ははっとするほど大人。「Magic of Love」ではのち様がくねくねと誘う可愛い女だったし、「1mm」のMVではわけゆか様が生身のイイ女。
 
宝石の似合う女綾香
  
そして今回のVogueでは特にあ~様の美しさが光ります。彼女はすごくシャープな大人顔。甘いというよりかっこいい顔。


あ~ちゃんのお顔はゴージャス。決して可愛いだけじゃない。大きな口もキラキラした目もすごく豪華。高い宝石もよく似合う派手な顔。高級な物が似合う高級な女。いいですね。ほんとに華やか。実に羨ましい。

 
素晴らしい素晴らしい…  (*´ェ`*)



2013年9月23日月曜日

NHK大河ドラマ「八重の桜」第38回「西南戦争」

 
  
さて、終わっちまったな…という感じ。もうおしまいかな?これはしょうがないですね。だって歴史的大事件なんてもう無いんだもの。最後の大事件がこうもあっさりと終わってしまうともう楽しみがない。しかしそれを言うのなら

なんで今年は八重ちゃんが主役なの?

…という身も蓋も無い疑問が持ち上がるわけです。このドラマ、8月の会津戦争までは本当に素晴らしかったです。ところがその後、舞台を京都に移し同志社物語が始まると、もう会津のことなんて一切関係なくなってしまってるんですよね。影も形も無い。

8月まであれだけ丁寧に積み重ねた会津の話を完全にぶち切って、八重とJoeの愛の学園物語? げげ…冗談じゃないわよ。可愛さ余って憎さ百倍。なんでこういう事をしてくれるのかな…理解不可能。

会津戦争までがあまりにも良かったんで、当時「今後、西南戦争を同じような丁寧さで描いて、時代の性急な移り変わりの不条理さと無常観を描いたら神大河になる…」などと言っていたのですがそれもむなし。

山川さんとか佐川さん、藤田さん…その他の会津藩士達のその後の10年間を順に追って、彼らを西南戦争へ自然につなげればどれだけすごいドラマになったか…と思うと本当に無念。あーなんともったいない。


結局、ヌエちゃんは京都の新しい生活をぬくぬくと楽しんでいて、「西南戦争」と聞いても「なーんで戦になるんだ…」なんてぼけたことを言ってる。会津戦争では「死ぬまで徹底抗戦!」なんて言ってバンバン敵を殺してた人よ。「三郎の仇!」とかもっと喜ばないのかな。もう忘れちゃったの?キリスト教に帰依して心の持ち方が変わってしまったのならそれもよし。だけどそんな彼女の心の変化の描写なんて一切なかったですよね。

それに女子も学問さえすれば「会津戦争」や「西南戦争」を理論で納得できるのか…なんてそんなのできるわけがない。理論が通らないから戦争になるんです。そういうの、会津戦争を経験した八重ちゃんが一番解ってるはずじゃないか。辻褄があわん! ほんとにどうしちゃったんだか…。こんなことなら、山川さんあたりを主人公にして会津藩士達の話にしたほうがずーっとよかったです。


会津戦争以降の話の繋がりがほとんどないから、佐川さんの最後も、西郷さんの最後もなんだか唐突。西郷さんと山川さんが出会った場面なんてファンタジーだそうです。ありゃーどうしちゃったんかな…。おまけに木戸さんも大久保さんもナレーションだけでお亡くなりになった。あれだけ慣れ親しんだ会津編での人物達をあんなに簡単に消していくなんて…。

ともかく今回の西南戦争はものすごーく楽しみにしておりました。吉川さんの西郷さんもかっこよかったし、そこに佐川さんや山川さんがやってくるとなればこれは盛り上がらないわけは無い。それなのに、なんだかバラバラのエピソードをツギハギにしたような感じで、それぞれ数分出してパッと戦死させてもう終わり。あとは八重ちゃんが京都で「女子にも教育を」なんて言ってる。なんだかな…。

俳優さん達は皆それぞれ大変素晴らしいし、戦の場面での演出は決して悪くないので本当にもったいないです。本当にもったいない。せめてあと1週あれば…。

西郷さんも佐川さんもいなくなると本当に寂しい。


2013年9月22日日曜日

NHK 土曜ドラマ『夫婦善哉』 第1回



面白かったです。

こちら米でも日本語TVサービスで1回目が先週から始まった。原作も昔の映画も見てません。このドラマが初めて。いやーこれ…いいドラマ。

特に二人が出会ってB級グルメめぐりのあたりがぐっと来ました。やー参ったな…すごくいい。金持ちの上品なボンボンがB級グルメで女を落とすって…原作もそうなんですかね。いやーいいな。まぁ男女の出会いというのには、いろんな状況があるとは思いますが、ワタクシこういうの好き 久しぶりにいいもんを見た(笑)。


あの維康柳吉(森山未来)がわざわざB級グルメに凝ってるのには意味がある。彼は金持ちのボンボン。だからお金を出して買える美味しいものなんていくらでも知ってるわけです。

ところが彼は自分で自分の納得する美味しいものを見つけたい人。だからいろんなところに自腹で出向いていっていろんなものを食べてみる。これはおいしい…これはいまいちやな…と自分だけのグルメマップを作っちゃってるわけです。柳吉独自の絶品B級グルメマップ。

柳吉は道楽男。自分の舌・感性に絶対的な自信を持っている。そこで「ちょっといいな」と思った可愛い女を「美味いもん食いにいこう…」と連れ出す。今までもああやっていろんな女を同じように連れ出してきたはず。「美味いもん」と言って連れて行く場所はB級グルメ…なので女も最初は怪訝な顔をする。「美味いもんて、これでっか…?」とちょっとがっかりしたりする。ところが、食べてみると「あれ…?」


柳吉は、まず1軒目で女の反応を見る。反応がいい女だけを次の店にもつれていく。最初の1軒目で「なんでこんなもん…」なんてつまらなそうにしてる女は1回きりでさようなら。ちょっと興味を示した女だけを2軒目にも誘う。

そんな秘密の食い物屋に毎回ひっそりと女を連れて行って絶品B級グルメをどんどん女に食わせる。自分で勝手にどんどん注文して女には全く選ばせない。そして「どや…?」「美味いやろ…」「これはな…」と薀蓄を傾ける。

若い女はまだまだ世間知らずでイノセントなんで、最初は微妙だったB級グルメデートにもだんだんじわじわとはまっていくんですね。本当に美味しいものを知ってる物知りの趣味のいい大人の男をちょっと尊敬し始めたりする。

あまり一般受けしなそうなB級レストランばかりにつれていかれるんで、最初は「ワタシ安く見られてるのかしら…」などと思ってたのに、女もいつの間にか「この人は秘密の店を私だけに教えてくれてるのかしら…」と思い始める。「これもおいしい…あれもおいしい…この人と出かけるとなんだか楽しい…」…そしてどんどん男に惹かれていくわけです。

焼き鳥をがっついたり、茶碗の中身をお互いに移しあったりするうちにだんだん親密になってくる。そこである日「いこ…。まだ…ええがな…。」と誘われる。もう「いやだ」とは言えない。茶碗の中身を移したりするぐらいだから、もう親密だったんだろうと思ってたけど、いやいや時代は大正。まだまだ男女の仲はお堅い時代なんですな…。


これはね…ものすごく真実。現代でも男性が(この柳吉のように)ちょっと脈のありそうな女の子をB級のお気に入りの店に連れて行って、もし彼女が「なんでもっとおしゃれなフレンチに連れて行ってくれないのよ…」とふてくされていたら、その女との将来はちと考えたほうがいい(笑)。だってね、そういう女は男からの献身的なサービスしか喜ばないめんどくさい女。それに食べ物より雰囲気だけで喜んでるような中身のない女。ほんとよ。

こういう柳吉みたいな男っていうのは(雑誌やマニュアルどおりの)女の子の喜びそうな店には決して行かない。女の子に媚びてない。こういう男っていうのは、自分の選択に絶対的な自信があって、それを喜ばないつまらない女には全く興味がないわけです。上品なAグルメしか喜ばないような女(=柳吉の奥さん)は、型どおり四角四面、真面目すぎて面白味が無い。

B級グルメに連れて行って女の反応を見て、今度は寄席に連れて行ってユーモアのセンスをチェックする…。そうやってその女が一緒にいて面白い女かどうか…を見てるわけです。胃袋とユーモアのセンスの相性がよければ、それ以外のあんなことやこんなことの相性もいい。一緒にいれば楽しい時間を過ごす事が出来る。そんなことをこの柳吉はよ~くわかっているわけです。そして暫くして十分仲良くなった後に、実はよく知った趣味のいいA級にさらっとつれていったりする。そうすると女の子はもう後戻りが出来ない。


それにしてもこの柳吉という男、ものすごく自分勝手。そもそも何事もいいかげん。B級グルメだって勝手に自分の好みを押し付けてるだけだし、ぜーんぶ自分の思い通りのことしかやらない。女性の好みに寄り添って喜ばせるようなサービスなんて全くしない。それなのに女の子が惚れてしまうのは独特の妙な魅力があるから。ほんとに困ったもんです。

(ワタクシはこういう男にひっかかることはないですが)こういう男に魅力があるのはまぁよくわかる。何の根拠も無いのに「俺にまかせとけばいいんや…」と自信に溢れて態度にも余裕のある男というのは、時にものすごく魅力的。外見じゃない。実は金でもない。妙な根拠の無い自信。生まれ持ったカリスマ…たぶんそういうもの。そして時に見せる弱さ。困ったもんです。


俳優さん達もいいですよね。蝶子の尾野真千子さん、柳吉の森山未來さんがすごくいい。

私は有名な朝ドラを見ていないのですが、尾野さんはインタビューでもあまり美女美女したオーラを売りにされていないんですよね。どちらかといえばガサガサしたキャラで売ってらっしゃる印象なのに、このドラマでは本当に色っぽい。ものすごく女。すごく綺麗。ものすごく可愛い。しっかり者で気も強いのに惚れた男にはいやと言えない可愛い女。すごくいい。いっしょに泣ける。

そして森山さん。今まで見る機会がなかったので初めて。まったく好きな顔じゃないんだけど(失礼)この柳吉はすごくいい。上に書いたような根拠の無い自信を持つボンボン、女好き、道楽好きのダメ男。繊細な女の子みたいな顔なのに、B級グルメを口いっぱいに頬張ってガツガツ食べるところに、ものすごく色気を感じる。肌も綺麗。きっと手も綺麗だ。女の子みたいにツルっとして髭も生えてなさそうな顔なのに態度も声も台詞もすごくぶしつけで男臭い。こういう人いる。尖った鼻と形のいい鼻孔、ぽってりした唇が超エロい(笑)。


あー面白いな。実はB級グルメに蝶子を連れまわしてる場面が一番盛り上がった。こういうドラマは、二人がねんごろになる直前が一番面白いですな。尾野さん最高。ドキドキする。

駆け落ちしちゃうと、まぁありがちな話になりそうなんですけど、このお二人が非常に魅力的なんで十分楽しい。ガヤガヤとした街の喧騒も、パッパッと画面の切り替わる編集も、カラフルな色あいも、コミカルな登場人物達もすごく楽しい。ベタベタせず軽いノリも結構。漫画みたいな印象も結構。1時間があっという間に過ぎた。

優しい火野正平パパも、頑固な岸部一徳親父も、枯れた草刈正雄爺もいい感じ。特に草刈爺が、喧嘩中の蝶子・柳吉を避けてススス…と火鉢を動かしたのは笑った。

これは楽しみです。