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2022年8月2日火曜日

NHK 土曜ドラマ『空白を満たしなさい』全5話・感想



難しかったです。難しいテーマ。解釈が難しいドラマだった。内容を理解できたのかどうかを確認するため、録画を残していた3話から見直した。

このテーマは迂闊にに文を書くこともためらわれる。怖いテーマ。今もこの文をタイプしながら心臓がドキドキする。自分でもおかしいと思う。

このテーマの作品は、個人が感想を書いて何らかの意見を言えば、もしかしたらそれが誰かを傷つけることになるかもしれない。嫌な思いをさせるかもしれない。だから言葉を選ぶ。もちろんドラマを見て何も感じなかったわけではない。様々な思いが心を巡る。

今までにこのテーマのことを考えなかったわけではない。しかし個人の行動の理由は人それぞれ。決して一般論が語れるような話ではない。皆それぞれの理由があるだろう。だから難しい。


例えば12歳の中学生が「テストの成績が悪かった。また叱られる。もうこの苦しみは終わりにしたい」と思えば、それはその12歳の中学生にとっては深刻な危機。真剣な悩みだ。しかしその悩みは、70歳を過ぎた大人には問題のうちにも入らないようなことに思えるかもしれない。同じ物事に対する感じ方は皆それぞれ違う。だからこのテーマを論じるのは私には難しい。

このドラマは、人の「行動」の理由をわかる範囲で探る話だと受け取った。


小説が原作だそうだが、ドラマの意図は(おそらくは)行動の抑止のためのメッセージだろうと思う。しかしこのドラマが、現在悩んでいる人の次の行動の抑止として機能するのかは私にはわからなかった。

私は見ていて辛かった。苦しくなる。気が滅入る。尖った演出に、ただでさえ重いテーマが私にはますます苦しく感じられた。見ている他の人々は大丈夫なのかと心配にもなった。



★ネタバレ注意

最初は番宣で見てシリーズを録画予約。早速1話を見たら気が滅入った。翌週も自動的に録画されていたので2話も見た。その2話目でほんの少し哲学を感じた。それで続けて見ようと思った。

3話、主人公・徹生(柄本佑)の行動の原因の探求 
  そして佐伯(阿部サダヲ)の「生きることへの疑問」
4話、徹生の行動の原因が少し明らかになる 
  佐伯の「自分が自分を追い詰める理由」
5話、徹生の再度の別れの前の…残る人々のための歪みの修復、
  彼が去った後の空白を、残された人々のために満たそうとする


主人公・徹生のその行動の理由(外因)
追いつめられていた。仕事が多すぎた。自分を責めた。前向きだった。しかし疲労は疲労。疲労が溜まっていた。極限の疲労が生きる実感にもなっていた。幸せさえ感じていた。苦しかった。しかし止められなかった。追われていると思った。

佐伯の生きる辛さ(内因)
私は皆を不快にさせる。愛されない。幸せでなくてはならないとか、前向きでなくてはならないだとか、そういった欺瞞に満ちた正しさが人間を苦しめる。ちゃんと幸せに生きねばと頑張る自分が、出来ていない(現実の)自分を苦しめる。ちゃんと生きたい。まっとうにみんなと同じように生きたい。生きる意味を教えて。


NPO法人の池端(滝籐賢一)の分析
空白の30分。原因は単純ではない。ビル火災の熱さから逃れるために窓から飛び降りる行動に例える。他に暑さから逃れる術がない。逃げ場を失った。

つきあう人の数だけ自分がある。人が生きていくには自分を肯定しなければ。自分を丸ごと愛するのはなかなかできない。まず好きな自分を見つける。

個人の問題だけじゃない。自分を押し殺して生きなきゃいけない社会にも問題がある。


そして5話で雰囲気が変わる。1話~4話までは徹生の行動の分析と原因究明だったが、5話で徹生のフォーカスが外に移る。5話で復生者達がまた消えてしまうということによる。徹生は、残る人々のために関係の歪みの修復、また身近な人々に感謝の言葉を伝える。佐伯には「自分の心の中の暗いものを消そうとせずに見守っていこうと思う」と手紙で告げる。


佐伯は内面の苦しみを抱え、徹生は疲労とプレッシャーに追い詰められた。人により経済的、物質的、肉体的な苦労、精神的な苦悩の場合もあるだろう。原因は皆それぞれでデータにして解析することも難しいのだろうと思う。

ただその行動の抑制になるのは、自分を肯定すること。以前からよく耳にする「自分を愛しなさい」の言葉がまた聞こえてくる。自分自身を条件付きで評価しない。どんな自分でも受け入れて愛する。自分を大切にする。どうやったらその強さを自分の中に常に保てるのか。 メディアや教育(親への教育)など、人が生きるための哲学をやる時期にきているのではないだろうかとも思った。


このドラマを見ていて、ちょっと前に見たNHKのドラマ 『今度生まれたら』 を思い出した。団塊の世代夫婦の30代の次男・ギター職人の健が言った言葉 「たいして取り柄のない人がいて、ただ生きてるだけじゃダメなのかな?」 このドラマを見ていてそれを何度も思い出した。



追記:
一旦上の文を書いて、後から違和感を感じた。
この話、女の私にとってはすごく気になることがある

徹生の奥さんの千佳さんの扱いのバランスがおかしい。

この話は徹生が主人公。彼につきまとう佐伯の存在が大きいのは、彼も徹生の行動の原因を説明するための存在だから。要はこの話は徹生の内面を深く掘り下げる話

ということは千佳さんの毒親の話も、徹生が「彼女の暗さを抱えながらも明るく振舞うところに惹かれた」という設定のために必要だっただけなのだろうか。結局彼女も「徹生の話」の「飾り」の扱いしかされていない。

しかしそれなら作者は(フィクションとして)なぜ千佳さんにあれだけの苦役を背負わせたのか。女性が愛する夫を亡くすのはこれ以上辛いことはないほどのこと。その後、佐伯が関わってきて苦しめられたこともある。その上に彼女には子供時代から続く母親からの精神的虐待がある。そしてまた千佳さんは二度目に夫を亡くすことになる。これからはシングルマザーとして子供を育てていくことになる。千佳さんの辛い人生。それなのにこの話での彼女の扱いはあまりにも雑。

彼女の人生にはありえないほどの大問題が連続して起こっているのに、彼女がそのことをどう思っているのかは描かれていない。「徹生の人生が辛い」という話なのに、実際には千佳さんの人生の苦労の方がずっと大きい。この設定なら、むしろ私が心配するのは千佳さんの方。千佳さんは大丈夫だろうか。それが気になった。