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2011年12月26日月曜日

Perfume を海外へ-14 遠征に向けての海外戦略-----2. アイドル路線の封印+コンサートの構成を海外仕様に

2. アイドル路線の封印+コンサートの構成を海外仕様に

それよりも、ライブの見せ方以上に気になるのは、彼女達の欧米においてのパフォーマーとしてのあり方です。彼女達自身のPerfumeのとらえかたです。というのも(繰り返しますが)日本人が思うほど、それから彼女達本人が思うほど、今の日本での彼女達のアイドルとしてのありかたが、欧米にそのまま受け入れられるとは考えにくいからです。(もちろん前述1の日本通タイプは除きます)。

そもそも西洋には、23歳の大人の女性が、子供のように純粋で愛らしく、女の子らしく、いつも無邪気に笑っている…ように振舞っていることを良しとする文化はありません。日本のアイドル遊びのよさは 実在の女の子(像)を通して、ファンが、自分の頭の中の理想像を彼女達の向こう側に見ることを楽しむことであって、基本的にそんな遊びの伝統がない欧米人には理解されにくいものです。「幼いな」と思われたらまずいです。

踊りを見て面白いといってくれる人、ステージセットやレーザーショーに感嘆する人は多くても、3人とすぐに友達になりたいと思う人は少ないかもしれません。それは極東のアジア人であること、言葉の問題、それからPerfumeの特殊なパッケージ性ゆえのものです。ハイテクの国日本からきた女性型ヒューマノイド3人が、ステージ上で今晩のご飯の話をしても興ざめになりかねない。(日本ではそれが面白かったのに)

ようするに、曲と曲の間のトークは、通訳までつれてきてやる必要はないし、それから日本では大切な意味のあったPerfume本人たちのアイドルとしての自負、今までの過去やファンへの想い(ドームでのオープニング、掟のっち、カートボール投げ)などなど「重い」演出はいっさいいらないということです。Perfumeは日本では無条件に愛されていて、長い道のりも過去の苦労も全て彼女達の魅力なのですが、そういうバックグラウンドの無い欧米で、そんな感傷的なものはいっさい理解されないでしょう。

例え話ですが、昔、1987年にマイケル・ジャクソンがソロで初来日した折、彼が曲の合間に「感激して座り込んで泣く」演出をしたのですが、アメリカでは大うけだったあのアイドル演出に、あの後楽園球場で本当に感激した日本人の客は何人いたんだろうと…。マイケルがアメリカでは長年のアイドルだったのに比べて、日本での客はスリラーで一時的に飛びついたファンが多かったはずで、そんなアメリカでのアイドル遊びが、あの頃の日本人に同じ意味で通じていたとは思えない。Perfumeが海外に行くのなら、その逆の立場になるわけです。それに比べて、マドンナは殆ど話さず、「ほら、みんな、踊れ!」ぐらいの号令だけで、後はノンストップで歌って踊ってましたから、彼女の方がどんな客(日本人)を相手にしているのか解っていたんだろうと思います。息をつかせる暇も無いショーとしての演出は、言葉の壁や外国人であることのハンデを越えて客を圧倒することが可能です。

Perfumeが言葉の通じない海外に行くのであれば、踊りのパフォーマンスの徹底的なプロ、それを演出するアートなセットとライティング、音響で、舞台芸術のプロとして本人たちもスタッフも徹底的にやる。そしてプロのパフォーマーとして堂々と踊り倒して客を圧倒すればいい。レーザーや映像、重低音、それに完璧なダンスで、他にまねの出来ないショーをやる。それでびっくりさせます。いったんリスペクトを勝ち得たら(それで成功したら)、少しずつ本来の自分たち寄りにアレンジしていくことも可能でしょう。まずはリスペクトです。