能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年9月22日木曜日

お猫様H:夏から秋へ



早いね。ボーっとしてたらもう9月も半ば過ぎ。
最近は猫さんが一日中寝ていてあまり遊んでくれない。
だからいい写真も撮れない。

この写真は8月8日
そして9月17日
光の範囲が小さくなった



2022年9月21日水曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第34回「理想の結婚」9月4日放送



前回で源実朝は元服し鎌倉殿となった。そして北条時政は初代執権に。

タイトルの「理想の結婚」で見せる様々な結婚の形。 実朝の政略結婚の話から、和田義盛+巴のハッピー結婚と、北条義時の新しい嫁・のえの女の計算付き結婚の3つの話。

それから、気のいい陽気なオヤジだと思っていた北条時政が暴君になりつつある。その元は嫁・りくの野心。りくが時政を動かしてます。

そして義時がまた結婚しました。相手はのえ。早々と決まってしまった。第32回の感想には義時のことを「もう鼻の下を伸ばしてにやにやしていた若者はいない」などと書いていたけれど、今回の彼は鼻の下を伸ばしてましたねぇ~。でれでれしてる。すごく嬉しそう。

そこに食いつくのえさん。ぬえか。のえさんは計算高い女のようです。

それに泰時が気付いた。彼は今までにも父・義時の言動に戸惑ってぶつかっていますが、この真面目な泰時がなかなか真っ直ぐな熱い青年で…。坂口健太郎さんは今まで見たドラマではいつもクールで熱量の少ない現代っ子の印象だったのですが、この泰時は熱いぞ。いいぞ。

そして繊細な源実朝。彼は政治家やリーダーになるよりもインドアで和歌を詠んで芸術寄りに生きたいタイプらしい。政治的な政略として京からの娘と結婚させられることにも悩んでいる。「しかたがないしとりあえず」とは言えないのだろう。結婚はゆっくりと確かな愛を育みたいと思っているのだろう。

そんな悩む繊細な実朝を和田義盛が慰める。館に皆を招いて紅葉鍋パーティー。実朝は傷つきやすく繊細だからこそ、脳筋で大雑把で陽気な和田っちにほっとするのだろう。和田っちいい人。毛深いのね。

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元久元年(1204年)頃 

源実朝(柿澤勇人)は日々学んでいる。大きくなったけれど実はまだ12、13歳ぐらい。

繊細 実朝

先生達は
八田知家(市原隼人) 薙刀
和田義盛(横田栄司) 弓
大江広元(栗原英雄) 政
三浦義村(山本耕史) 処世の全て 女の扱い


ところでこの頃の武蔵国司は、北条時政(坂東彌十郎)の後妻・りく/牧の方(宮沢りえ)の娘婿・平賀朝雅(山中崇)。「比企能員の変」の翌月の建仁3年(1203年)10月、平賀朝雅は京都守護のため上洛。時政は比企の跡を勢力下におさめようとし、将軍実朝の命によって武蔵国務職に任じられ武蔵国衙の行政権を掌握していた。

畠山重忠(中川大志)はそれまで代々受け継いできた(武蔵国の武士団を統率する)留守所総検校職の役目を北条時政から解任されて(←この部分は歴史の記録にはないそうです)不満を募らせている「姑殿は武蔵を奪い取り上げるのでは?」もしそうであるなら時政と戦う意思を表す。

馬も担げる 畠山重忠

源実朝には、後鳥羽上皇(尾上松也)の従姉・千世(加藤小夏)との結婚が決定。10月14日に16歳の北条政範(中川翼)がその使者として京に向かう。

北条義時(小栗旬)には文官の二階堂行政(野仲イサオ)の孫娘・のえ/伊賀の方(菊地凛子)との再婚話。義時がのえとお見合い。気に入ったらしい。

怪獣も倒せる のえ

その頃京では源仲章(生田斗真)が(時政の娘婿)平賀朝雅(山中崇)に、将来は鎌倉の執権になるようにと勧めている。後鳥羽上皇は(一介の武士である)北条が鎌倉で力を持つことが面白くない…もし(河内源氏の流である)平賀朝雅が執権になれば鎌倉も動かしやすくなると考える。平賀朝雅が次の執権になるのに邪魔なのは、北条時政とりくの嫡男・北条政範。

後鳥羽上皇の乳母

元久元年(1204年)11月3日 京で突然、北条政範が死去。死因は流行り病とのことだがあやしい。


その他

以前。頼朝の観音像が政子(小池栄子)から義時へ。そして今回義時から泰時(坂口健太郎)へ。


・三浦義村は女性をとことん大切にするらしい。

・結婚話に気が乗らない実朝。それを政子が心配する。政子は実朝のために和歌を書き写し実朝の目に付く場所に置くよう指示。

北条時政は御家人達から賄賂を受け取って喜んでいる。御家人同士の訴訟の判決にもその影響が。

・八田知家は女性を見る目がない。

・北条時政が三浦義村に、畠山の件で三浦が北条に付くかどうかの打診。

・のえのうらおもて。それを泰時が目撃。



2022年9月20日火曜日

エリザベス女王葬儀の日に思う・英国の軍隊と王室



エリザベス女王の国葬の日は、昨日9月19日(月曜日)。その日の朝6時30分までLying-in-Stateが行われていて、葬儀の儀式はそれから数時間後の午前11時から開始された。

私が住むハワイと英国との時差は11時間。ロンドンの19日の午前10時45分にウェストミンスター・ホールから柩を寺院へ移動するマーチが始まった時、ここでは18日夜の11時45分。英国の女王様の国葬は、この地ではほぼ午前0時からの開始となった。BBCでは午後9時ぐらいから特別番組を放送開始。最初から見られるところまで見ようと準備してテレビの前に座った。

ほぼ午前0時から儀式が始まり、なんとかライブで午前3時まで見た(女王の柩がハイドパークを出た頃まで)。その後の3時間を録画予約して就寝。朝起きてから残りの3時間分(ロンドンからウィンザーまでの旅~ウィンザー郊外からの軍のマーチ~ウィンザー城内のSt George's Chapelでの儀式)をしっかりと見た。やっと見終わった。

すごかった。綺麗だった。ものすごかった。本当にすごい儀式だった。ただただ言葉を無くして感動した。美しかった。素晴らしかった。



各国からの要人を招いてのWestminster Abbey(寺院)での葬儀は、英国内とそれからcommonwealthの国々、友好国に向けての公の儀式のように見えた。それに比べてウィンザー城のSt George's Chapelでの儀式はもっとパーソナルな儀式…sermonsの内容も女王様個人と神との関係の話が多いように見えたのが印象的だった。ロンドンでは国の君主として、ウィンザー城では個人として…の儀式なのかと思った。

St George's Chapelでは、最後に柩から君主の象徴である王冠/Imperial State Crownと勺杖/Scepter、宝玉/Orbが柩から外され、柩の上にはチャールズIII世により「Queen's Company Camp Colour of the grenadier guards — a regimental flag that is specific to the queen」の旗がかけられた。柩はそのままエレベータで床下にゆっくりと下ろされ視界から消えた。その後女王様の柩はご家族だけの儀式でSt George's Chapel内に埋葬されるとのこと。全ては終わった。

感無量。70年間君臨なさって王家を守り続けた女王様。本当に偉大な女性だった。



英国の女王様の葬儀を見ていて考えたことを書いておこうと思う。

この国葬で一番考えさせられたのは、この葬儀の印象が(私が見た感じでは)ほぼ70%の軍隊の儀式と30%の宗教の儀式だったことだ(あくまでも個人的な印象)。あまりにも大きな軍隊の儀式の印象。

寺院や教会での儀式が…英国の君主が英国国教会の最高ガバナー (Supreme Governor of the Church of England)であることから、女王の葬儀が宗教の儀式であるのは当然のこと。しかしもっと大きな印象だったのは、あの街中を延々と練り歩く軍隊のマーチだった。

大人数。整然と並んだ兵士達の美しさ。華やかで様々なデザインの軍服を着た兵士達。沢山の騎馬隊。マーチングバンド/鼓笛隊。そして軍服を着た国王と王族の方々も徒歩でマーチ。…その全ては様式美。華美で豪華。英国各地の連隊とイギリス連邦/Commonwealth of Nationsからの連隊も加えて、今回の儀式の軍隊の人数は過去最大だったと聞く。それはそれは壮大でゴージャスな軍隊のマーチ。

その数は、およそ軍人6000人という記事もあれば、全ての軍のスタッフを合わせて10000人を超えたという記事もあった。とにかく大変な数である。

これはほぼ軍事パレードだと思った。



その理由は英国の歴史と王室のあり方にある。


そもそも英国の君主とは
「Head of the British Armed Forces/イギリス軍の司令官
「Commander-in-Chief of the British Armed Forces/イギリス軍の最高司令官

そしてその意味は…
「 a role vested in the sovereign of the United Kingdom, according to British constitutional law/英国憲法に従って、英国の主権者に与えられた役割である英国軍の最高指揮権
とあった。


要するに、英国の王/女王とは軍隊の最高司令官ということなのだ。もちろん現代に王が軍を自ら率いて戦うことはないが、形式上の最高司令官ということだ。なるほど。なるほどだ。そんな当たり前の事を今回あらためて納得。大きく頷いた。

ウェストミンスター界隈からバッキンガム宮殿の周り、そしてウィンザー城までの田舎道を長々と徒歩で歩く兵士達のボスは、現在はチャールズIII世。しかし9月8日までの最高司令官はあのエリザベスII世だったのだ。彼女は70年間も軍の司令官だったことになる。少し驚いた。そうか。そうなのだ。今回のあの英国史上最大数の軍隊の行進は、兵士達にとっては自分達の司令官の葬儀の行進だったわけだ。

理屈ではわかっていても実際に見せられると本当にすごいなと思う。

ロンドンの行進では、女王の柩は海軍の砲架/State Gun Carriage of the Royal Navy(砲身をのせる台)に乗せられていた。その周りを何千人もの兵士達が歩く。いかにも軍隊の儀式だ。



女王様の軍隊の行進。すごいはずである。ところで英国の君主とはもちろん近年になってから「イギリス軍の司令官」になったわけではない。

英国の王家の祖先は、元々強い軍を持った征服者であった。

現在のイギリス王室の開祖はウィリアム征服王/William the Conqueror。
彼はノルマン朝の初代イングランド王。ノルマン朝/ノルマン人とは元々は北欧からフランスのノルマンディー地方に南下したバイキングの一族。彼らがノルマンディー公国を開きギヨーム/ウィリアムはそこの君主となった。そして彼は1066年に好機を見計らい、6000人の騎士を含む12000の兵を率いてイングランド南岸に侵入。在英の敵を討ち果たしウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として戴冠しイギリス王室の開祖となった。

歴史の中では、多くの国の王室の祖先は元々warlord/a supreme military leaderであることが多い。いつの時代も戦の勝利者が王になった。英国の王室の祖先も元々強い軍隊を持った君主だった。

整然と並んだ軍隊のマーチは19世紀以前の戦場での進軍のマーチを想像させるし、鼓笛隊の演奏は兵士を鼓舞するための従軍の楽隊。全てが軍事パレード風味なのは、そもそも王室のルーツが強い軍を率いた君主の家系にあるからなのだろう。



そしてまたあの豪華な軍服での行進の理由も、英国の歴史によるものなのだろうと思った。

今でこそ西欧の国同士の戦争はなくなったが、19世紀の時代までは欧州の近隣の国々は度々戦争を繰り返していた。そんな時代、このような機会での(実質的な)軍事パレードは、国の内外に向けての軍事力の誇示の意味もあったのだろうと思った。軍の力を国外に示せば、外国/欧州近隣の国々には脅しとなるし、国内に向けては内政の安定(反乱が起きにくくなる)にも効果がある。また一般の国民に対しては「大きな力強い王室」の誇示にもなる。

だからこそあれほどのきらびやかな軍事パレードで、あの派手な軍服なのだ。国内の様々な連隊の軍服。騎馬隊のキラキラと派手な鎧。Scots GuardsだのIrish Guardsだのと色々とあって…興味が湧いたので今wkipediaで「List of British Army regiments and corps」と調べてみたら沢山の連隊が出て来た。昨日は彼らが全て揃っていたのだろうか。大変なものである。


あのような儀式での派手な軍服が儀式用なのは明らか。全てが軍隊の歴史的な遺産。しかしその軍隊の歴史的遺産を着て行進をしているのは、実際のイギリス軍の兵士達なのだからおそれいる。彼らは様々な年代にデザインされた軍服…19世紀や、まさかの15世紀(ビーフイーター)などの様々な軍服を着て行進をしているが、彼らの持っている銃剣やマシンガンには実弾が入っているのだろう。儀式のための飾りではない。(←おっと入っていないそうです)本当にすごいものだと思う。


女王様の軍隊は本物だった。儀式は女王様=軍隊の最高司令官のためのものだし、そして王室の方々も軍服を着て軍と共に行進する(プリンセス・ロイヤル・アン様がかっこよかった)。英国の王室と軍隊とは密接に関わっている。そんな様々なことをとりとめもなく考えて、全6時間の女王様の葬儀の放送を見届けた。圧倒された。本当にすごかった。

最後に女王様の馬・ポニーのエマちゃんと2匹のコーギーが出て来た時は泣きそうになった。



2022年9月19日月曜日

英国 皆で女王様にお別れを



この1週間、Lying-in-Stateのライブ映像ばかり見ていた

エリザベス女王がお亡くなりになって喪に服すような気持ちで1週間を過ごした。そのようなつもりはなかったのに先週からの1週間、英国で行われている儀式に毎日心を奪われ続けていた。

ウェストミンスター・ホールで行われていたLying-in-Stateのことをここに書いたのは先週の水曜日。それからも毎日度々BBCのライブ映像と情報をチェックし続けた。映像を見ている間は私も列にならんでいるような気がした。

毎日毎日英国の人々は何時間も辛抱強く列に並んでいた。参拝者はロンドンのみならず全国からも列車に乗ってロンドンに集っているとニュースはリポートしていた。一時は並んだ列の最後尾がSouthwark Parkのリミットを超え、参拝者の参加をしばらく止めた場面もあった。待ち時間は24時間を超えたらしい。あのデビッド・ベッカムが個人で列に並んだ話も後から知った。


たまたま映像を見ていて心に残る場面があった。
長身の高齢の男性がお一人。おそらく80歳は超えているだろう高齢の紳士。黒のスーツに白いシャツ、黒のネクタイで杖をついて参列なさっている。このお方は杖で身体を支えながらお一人で何時間も列に並んで女王様にお別れにいらっしゃったのだろうか。

そしてまた別の時に見たのは、おそらく50代後半から60歳ぐらいのご夫婦/カップル。細身の女性は、英国の国旗がそのまま全面にデザインされたTシャツを着て、明るく染めた金髪を頭のてっぺんで無造作に結んでいる。ジャケットを腰に巻いて下はジーンズのカジュアルな格好だけれどたぶん年齢は55~60歳ぐらい。そして男性はスキンヘッドで小太りの身体にSex Pistolsの有名な「God Save The Queen(女王の目と口の部分に文字が入っている)」のデザインの黒のTシャツを着ている。お二人とも昔は勢いのいいパンクスだったのだろう。40年前の若かった頃には「人間じゃねー未来もねー」などと歌っていたのだろう。その小太りスキンヘッドのおじさんが泣いているのに気付いた。左手をピンクの丸い頭から顎へ何度も撫で下ろしお顔をくしゃくしゃにして泣いている。彼はきっと誰よりも英国と女王様を愛していたのだろう。見ている私も泣きそうになった。


お別れにいらした人々は様々。東アジア系、アフリカ系、インド系、中東系、多くのヨーロッパ系、そして多くの純英国人。小奇麗な格好で深くお辞儀をする東アジア系の人々はもしかしたらロンドン在住の日本人の方々かもしれない。

日本からいらした天皇陛下がウェストミンスター・ホールにいらっしゃった写真もメディアで拝見した。アメリカからはバイデン大統領。たまたま私がライブ映像を見ていた時にも中近東の要人の方々がホールにいらしていた。

皆同じように女王様にお別れに会いにいらしていた。

そうやって最後の最後まで何度も何度もLying-in-Stateのライブ映像を開いた。



2022年9月14日水曜日

英国HM The Queen: Lying-in-State



決して1日中テレビの前に座ってBBCを見ているわけではないのだけれど、1日に1度は今の英国で何が行われているのかをチェックしている。以前から録画予約をしているBBC『HARD talk』の時間帯が今週はエリザベス女王のトリビュートになっている。今の英国で行われている日々の儀式の様子が30分にまとめられているので毎日それを見ている。

昨日は女王様の柩が空軍機でスコットランドからロンドンに帰ってくる様子を映していた。今までの数日間、厳かな儀式の様子を見ながら度々泣きそうになった。なぜなのかは自分でもよくわからない。「あの私の知る英国の時代」が終わった悲しみなのだろうかと思う。


この文を書き始めた時間は、英国の9月15日の午前1時過ぎ。今ウェストミンスター・ホールで女王様の柩のLying-in-Stateが行われている。BBCがYoutubeでその様子をライブ中継している。

Lying-in-Stateとは〔著名人の〕遺体/柩の一般公開。前回英国で行われたLying-in-Stateは、エリザベス皇太后/国王ジョージ6世のお妃でイギリス王妃/エリザベス女王のお母様Queen Motherの時の2002年。

今回のエリザベス女王のLying-in-Stateも同じウェストミンスター・ホールで行われている。英国に住む人々が何時間も行列に並んで女王様に敬意を表しにやってくる。Lying-in-Stateの始まりは9月14日の午後5時。最終は9月19日の午前6時30分まで。毎日24時間行われているそうだ。


前回2002年のQueen Motherの時には私と旦那Aもウェストミンスター・ホールを訪ねた。当時はPimlico駅の近くのフラットに住んでいて、ウェストミンスターは歩いていける距離だった。

フラットを出てテムズ川沿いをウェストミンスターに向かって歩いていく。3月で外が暗かったので午後6時は過ぎていたと思う。行列の最後尾はLambeth Bridgeの真ん中辺り。そこから列に加わった。列はなかなか進まなかった。やっと橋が終わって右に角を曲がり街路樹の下にいたら頭上から鳥の糞が落ちてきた。列はゆっくりと進み、ホールにたどり着いた時は、列に並び始めてから2、3時間が過ぎていたと思う。午後6時ぐらいに並び始めてQueen Motherの柩の前にたどり着いたのは10時ぐらいではなかっただろうか。

天井の高い大きなホールに入ってからも列はゆっくりと進んだ。建物の中では誰も話さず静か。人々はカーペットの上を歩き長い間立ち止まることは許されない。照明が落とされていてホール内は薄暗く厳粛な空気が流れていた。外国人の私が皇太后様の柩からたった数メートル離れた場所で最後のご挨拶が出来ることに驚きまたその事実に圧倒された。静かに頭を下げた。そしてまた行列はゆっくりと進み、ホールの外に出てそのまま家まで旦那Aと二人で歩いて帰った。「歴史的な時間」のその場にいたのだと話し合った。


そして今エリザベス女王様のLying-in-Stateが行われている。ライブ映像では大勢の人々が建物の真ん中に置かれた女王様の柩を両側から囲むようにゆっくりと進んでいる。度々衛兵が入れ替わっているようで、その儀式の間は列が止められているようだ。衛兵の赤い制服が大変美しい。全てがおとぎ話のように美しい。

英国にいる人々が女王様に最後の挨拶をして敬意を表し皆で女王様を天国に送り出す。何から何までしきたりと決まりごとで固められた英国の王室の儀式に私はいつも心動かされる。伝統はしきたりと決まりごとを繰り返し行っていくことで次の世に繋げられていく。


英国政府公式のサイトで情報を調べると、Youtubeの「Her Majesty The Queen's Lying-in-State | Queue Tracker」というライブ映像で、現在の列の最後尾がLondon Bridgeまで伸びていると出ている。およそ2.9マイルは4.6キロの長さ。ものすごい距離。普段はウェストミンスターからロンドン橋まで歩くことはめったにない。のろのろと進めばホールにたどり着くまでどれぐらいの時間がかかるのか想像もできない。人々は平日の午前2時でさえ長い時間列に並んで女王様に敬意を表しにやってきている。

国民に愛された英国の女王様。私も映像を見ながら度々手を合わせている。




2022年9月9日金曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回「修善寺」8月28日放送



最後が…。善児。うわ~トウちゃん…。き、君はそんな恨みを何年も隠し持っていたのか…彼女も大変な人生だ。ちょっとショックなエンディング。

彼女も最初から善児を討つつもりではなかったのかも。でも不死身だと思っていた師匠が負傷した。たぶんもう助からない。それならとどめを刺す。しかしこれは…きついな~。トウに刺された後、「父の仇…」とトウの言葉を聞いて善児が頷いてましたが、あの時彼は何を思ったのか。トウも泣いてましたね。彼女も複雑な思いが沢山あったのだろう。お世話になった師匠に両親を殺されているのですもんね。しばらく今回のエンディングに圧倒されてた。

善児

善児と言えば死の匂い…登場する度に怖いなぁと思ってましたが、亡くなってしまうと寂しいかも。善児はとにかく強いのよ。小柄で動きが速くて、どんな状況でも仕事を成し遂げる。有能な戦士。しかしこれだけ身体能力があって強いのなら、彼は伊東家でまっとうな家臣にはなれなかったのだろうかとも思う。

善児さんおつかれさまでした。一幡君に会えたかな~。 

頼家

それからもちろん今回のメインイベントは頼家です。彼は…生き残る方法はなかったのだろうか。あの北条家のことを考えれば、いずれ殺されていたのだろうとも思えるけれど、長い歴史の中には飄々と禍を避けてうまく生き残る人もいるのですよね。もし頼家がこのドラマで描かれたように負けん気の強い人物ではなくて、小心者の穏やかな…あまり争いごとを好まぬおとなしい人物だったらどうだったのだろうと思いたくなる。やっぱり北条が許さないかな。

頼朝の嫡男なのに頼朝の後を継いで鎌倉殿になってからたった4年で鎌倉から追い出されてしまうという事実。やっぱり異常なことですよね。

彼は鎌倉殿になったばかりはやる気満々。しかし18歳で若すぎるからと13人の合議制が決められ、すぐに政治の隅に追いやられて不満を募らせる。その後も度々問題行動を起こす傲慢な若者…確かにこの子は扱いにくい…とも思うけれど、その幼さのためにまたかわいそうにもなる。「頑張ってるのに誰もわかってくれない」孤独な彼の涙。全方向にぶつかって結果大人達に全てを奪われて泣き崩れる。

彼は複雑な人物。富士の巻狩りの頃はどちらかと言えばインドア派でスポーツも得意ではなかったのに、緊急の状況ではキビキビと場を仕切っていて「あ、この子は出来る子なのかも」と思った(第23回)のに、鎌倉殿になったとたんになぜか我がままで不安定な子供(中二病)みたいになってしまって(第27回)皆を不安にさせる。そしてスポーツもいつの間にか得意になっていて、いつも外に狩りに出かけるようになる。肝心な時には家にいない。頼家が頼りにならないからと「鎌倉の合議制の13人」が決められた後も、家臣の嫁を寝取ったり家臣に暴言を吐いたりと手がつけられない。そして病気になってしまう。全てを奪われて修善寺に送られた後も意地を張る。鎌倉に帰ることを諦めず抵抗を続ける。それが死の引き金になった。

しかし彼の辛さもわかる。彼は誰がなんと言おうと源頼朝の嫡男だったのに…。
金子大地さん、素晴らしかったです。


今回もいくつかの場面で演出がいいと思った。三浦義村が頼家を訪る場面。頼家が義村に「北条を討ちたいから力を貸してくれ」と言い、義村が「お断りします」と断れば、カメラが頼家からす~っと引く。そして不安な音楽。そしてその直後に義村がその会話を鎌倉での会議で報告している場面。あ~頼家…望みは無い。 それから頼家の最後の場面も、青い光の中の善児とのバトルでドキドキした。ほんと。いいドラマ。


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建仁3年(1203年)10月8日 源実朝(嶺岸煌桜)は12歳で元服し鎌倉殿/3代将軍となった。


10月9日 実朝の政所始め。北条時政(坂東彌十郎)は大江広元(栗原英雄)と並んで政所別当に就任した。時政はまた比企能員の死により空いた武蔵の地を引き継ごうとする。

三浦義村(山本耕史)は、比企の一件から北条に不満を持つ者が増えていると言う。

北条のりく(宮沢りえ)は野心を燃やし時政を焚きつける。


時政とりく(牧の方)との間に生まれた長女の婿で武蔵守である平賀朝雅(山中崇)が京都守護の職務のため京に向かう。京で実朝の嫁を京から呼ぶ手配。後鳥羽上皇(尾上松也)の顔色を伺いながらなんとか話をまとめる。後鳥羽上皇は「源氏こそ我が家臣…北条=坂東の身の程知らずの田舎侍に好きなようにはさせぬ」と言う。様子見に源仲章(生田斗真)を鎌倉に送り込む。


源仲章といえば…以前、阿野全成の三男・頼全を暗殺していた。


修善寺の源頼家(金子大地)はまだ諦めていない。訪ねてきた三浦義村(山本耕史)に「鎌倉にいつか攻め入って北条を討ち取る」と言う。そのことを鎌倉の会議で皆に報告する義村。直ぐに頼家を討ち取りはしないが、しばらく様子を見ようということになる。

善哉は頼家の次男

建仁4年(1203年)正月 実朝の読書始め。儒教の講義をするのは、今日から送り込まれた源仲章。仲章は実朝に和歌は京と繋がるための政のツールであると諭す。

三善康信(小林 隆) 実朝に和歌を教えようとしたけれど

頼家を修善寺に訪ねる足立遠元(大野泰広)と畠山重忠(中川大志)。その二人に頼家は「北条時政が武蔵国を狙っている」と告げる。

鎌倉での会議中、畠山が時政に武蔵国の件を尋ねる。どうやら頼家は京とつながっているらしいことが明らかになる。八田知家(市原隼人)が修善寺から京へ帰る猿楽師に託された頼家の文(扇子に書いた文)を押さえる…頼家は後鳥羽上皇に北条追討の院宣を願い出ていた。頼家を討ち取ることを決定。それに反発する北条泰時(坂口健太郎)。頼家を逃がすと言う。

義時の命で善児(梶原善)とトウ(山本千尋)が修善寺へ送られる。
猿楽の途中、泰時の目の前で頼家が殺害される。頼家、享年23。

頼家との戦いで善児が大きく負傷。
トウが「父母の仇」だととどめを刺し善児絶命。

義時が和田義盛(横田栄司)を訪ねると運慶(相島一之)がいた。運慶は義時に「悪い顔になったな。しかし迷いがある。まだ救いはある」と言う。



2022年9月8日木曜日

英エリザベス女王死去



昨夜午前2時過ぎ、見ていたiPadのニュースサービスが「エリザベス女王の健康が懸念される状態」と文字を出した。すぐにTVを点けると、BBCが通常の放送スケジュールを変更してそのことを伝えていた。しばらく起きて見ていたが就寝。

今朝7時半過ぎ、目が覚めたのでiPadのニュースを覗くと5分前に出た記事で「エリザベス女王がスコットランドのバルモラル城で亡くなった」との文字。階下に下りてBBCのテレビを点けた。

この日が来ることはわかっていた。女王様は96歳。わかっていたはずなのに言葉にならないほど悲しい。


女王様は2日前にも新しく決まったトラス首相の謁見を受け、首相に任命なさったそう。最後まで公務をなさっていた。1952年から始まった女王様の在位期間は70年間。今年の6月にはプラチナ・ジュビリーのお祝いがあったばかり。パディントン・ベアと共演なさった映像ではとてもお元気そうだった。

英国には30代に10年間住んだ。英国では王室のニュースを見かけない日はない。英国の中心には常に女王様。そして英国の国民は皆彼女を愛していた。スーパーセレブリティ…大きなファミリーの中心には常に女王様がいらっしゃった。英国に住んだ10年の間に、私もいつのまにか外国人なのにロイヤリストになっていた。女王様のファンになっていた。


この日が来ることはもちろんわかっていた。しかし彼女とパディントン・ベアとの共演を見て笑顔になって、女王様はきっとお元気なのだろうと安心していた。

「尊敬する人は」と聞かれたら、私はその答えがすぐに出てこなくていつも困るのだけれど、英国のエリザベス女王様のことは間違いなく心から尊敬している。疑いようもなく、とてつもなく大きな存在。偉大な女性。彼女がいてこその英国だった。

先程BBCを見ていたら、ウィンザー城の半旗を掲げたお城の屋根のむこうの空に虹があがっている映像が出ていた。またバッキンガム宮殿の向かいにも大きな二重の虹がかかったそうだ。不思議ですね。  今もまだ信じられない。実感がわかない。悲しいです。

女王様、長い間本当にお疲れ様でした。
安らかな眠りにつかれますよう、お祈り致します。


英国女王の「ダイヤモンド・ジュビリー」即位60周年記念式典/Queen's Diamond Jubilee ---2012/6/6 ---英国にとっての女王/国王の存在意義とは