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2023年1月3日火曜日

ホリデイ・シーズン:クリスマスの憂鬱とお正月の儀式



明けましておめでとうございます。

もう1月3日。いつものように旦那Aがクリスマスホリデーで休んでいるので、海亀ものんびりしてます。


クリスマスの時期はブルーになる。今年は特にそう感じた。

西洋人にとってのクリスマスは家族が集まる日。うちの夫婦も、結婚したばかりの20数年前は義理の家族と一緒に過ごすことが多かった。当時私達はロンドンに住んでいて、米国東海岸に住む旦那Aの家族を訪ねたり迎えたりして共に時間を過ごしていた。クリスマスツリーの下には沢山のプレゼント。一緒に七面鳥や芽キャベツを食べて過ごした。同じ週にバレエの『くるみ割り人形』を皆で見に行ったり、25日になった深夜には近所の教会を訪ねたりもした。外は寒かったけれど、家の中には人が沢山いて和気あいあいと楽しかった。

それから20数年が過ぎて、そんなクリスマスもなくなってしまった。親戚の子供達は成長した。家族のメンバーも老いて移動が難しくなり、また近年いなくなった家族もいる。ましてやコロナが始まってからは健康でもお互い会うことができず。クリスマスを皆バラバラで過ごすことが当たり前になって数年が過ぎた。

ブルーになる一番の理由は私達に子供がいないことだ。時が流れて、私達が子供として両親を訪ねる時期はとうに終わってしまった。一方子供のいる旦那Aの弟は、2人の子供が成人し、今年は家にいて帰ってくる子供達を迎えたと言う。そう。そうなのだ。家族を持つ人達は、いつの間にか家族の伝統を次の世代に伝える役割に自然に移動している。彼らのそんな話を聞きながら、そういえばそんなクリスマスは私達にはないと気付く。これから何年経っても私達は二人だけ。「こんな風になっちゃったね」と二人でため息をつく。

それでも祝日は祝日。伝統は伝統。だから25日にはチキンをローストして、芽キャベツとマッシュポテトとスタッフィングを料理し、赤ワインを明けて二人で夜を過ごす。それでもなんとなく漂う寂しさ。ワインを飲みながらとりとめもなくだらだらと長時間話し続ける。

遠方の親戚とカードを送りあい、クリスマスの当日には電話で皆と話す。旦那Aと従兄弟はテキストで冗談を言い合い写真を送りあう。今年のクリスマスの日の米国は中西部から東海岸にかけて記録的な大雪。従兄弟2人が家も車も雪に埋もれた写真を送ってくれた。旦那Aはこちらからヤシの木の写真を送る。


友人との別れもあった。ハワイに来てから10年以上親しくしていた友人の夫婦が、私達が知らない間に米国の西海岸に引っ越してしまっていた(彼らとはコロナ禍で長い間連絡が取れずにいた)。最初彼らは「事業を拡大するために本土の都市にオフィスを構え、ハワイとその都市でそれぞれ半年ずつ過ごすつもりでいる」と言っていた。そしてハワイに持家を残したまま本土にも拠点を持った。ところがその直後に起こったコロナ禍。移動も難しくなり2つの拠点で仕事をするのは無理だと判断。たまたま西海岸に住む娘さんに今年赤ちゃんが生まれた。初孫だ「孫の近くに住みたい」。 ヨーロッパと米国東海岸出身の二人は30年以上暮らしたハワイを離れることに決めた。ハワイの持家を売り払い、本土の都市に家を買って移り住んだ。彼らは人生の次の段階に進んだのだ。もう2度と帰ってこない。そのことを私達はクリスマスの日の3日前に知った。ショックだった。

これほどブルーなクリスマスもなかった。もう会えない家族。もう2度と20年前のような家族団らんのクリスマスはない。親しい友人も去った…何度も招き招かれたディナー、共に見たショー、大勢が集まった恒例の年末のパーティー、一緒に山を歩いたハイキング…楽しかった日々を思い出して泣いた。


クリスマスから年末にブルーになりながらも、それでもやるべきことは沢山ある。年末年始の食料の買出しにスーパーへ。31日の午後はお節用の料理をして台所に立ち続ける。そして6時過ぎに年越しそば。かき揚げの天ぷらがおいしかった。夜の8時ぐらいから録画していた紅白歌合戦を長々と4時間かけて見る。旦那Aとうだうだ喋りながら見る。そして年が明けた。近所のストリートでは爆竹がバチバチバチバチと大きな音を立てている。
 

旦那Aに「重箱の空きに何か詰めてよ」と言ったら
前日のポテトと海苔あられが入れてあった笑

元旦はのんびりと起きて、早速なんちゃってお節の準備。半分以上は買ってきたものを小さなお重に詰めるだけ。それでもテーブルの上に料理を並べていくと、それらしい気分になってくる。今年はお店で屠蘇散も手に入った(嬉しい)。31日に作った焼豚もかなり上手くできた。それから煮物も意外においしくできた。田作りときんぴらも作った。お雑煮は鶏のお吸い物にカリカリに焼いた丸いお餅を入れる。溶けてふにゃふにゃになるのがいい。そんな風にお正月の食卓を、見かけだけでも整えてセットするとお正月らしい気分が出てくる。

なんとか新年が迎えられた。やっと新しい年が始まった。

新年の最初の食卓を整える。それでやっと、やっと明るい気分になってくる。お正月の食卓、それは前年を過去に送って後ろに流し、前を向いて新しい年を迎えてリフレッシュするための儀式。新年のスイッチを入れるための儀式。

旦那Aとお屠蘇を呑んで、お餅を食べて、大好きな黒豆と栗きんとんを食べれば、もうそれでOK。今年もOK。もう大丈夫。前を向いて今年も何とかなりそうだ。今年もそんな風に新年を迎えた。


これからこの先、きっとこのルーティンは変わらないだろうと思う。毎年クリスマス辺りでペシミスティックになって暗く沈みもんもんとして、31日の夜にお蕎麦を食べ紅白を見て、翌朝新年最初の食卓に着いたら、雪が解けるように気持ちが晴れてくる。


お正月の食事は気分をリセットするための大切な儀式。懐かしい味とテーブルの上の風景にたぶん私の魂は救われている。そんな伝統を教えてくれた両親に感謝。それに付き合ってくれる旦那Aにも感謝。奴はお屠蘇が大好き(Japan's version of mulled wineだと言う)。お雑煮も黒豆も田作りもきんとんもきんぴらも全部おいしいおいしいと食べる。東海岸生まれの青い目の人がよく田作りなんて食べられるものだと思う。たぶん前世は日本人だろう。

そんな風に正月三が日の朝は純和風。しかし二人とも飽きっぽいので夜は必ず他の物を食べる。元旦はシンプルな水菜と生ハム+ガーリックオイルのパスタ、2日はナス入りキーマカレーを食べた。3日の今日も昨日のキーマカレーとサラダ。

さて明日からトーストにオムレツの朝食の日常に戻る。