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2022年8月16日火曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第30回「全成の確率」8月7日放送



実衣と阿野全成の回。前回、北条時政とりくに頼まれて「頼家を病に臥せさせるため」にと頼家を呪詛した全成。頼家と打ち解けて呪詛もとりやめたのに、木人形を回収し忘れて呪詛が発覚。頼家の名前が木人形に貼り付けられていたらしい。

梶原景時が滅ぼされてから、鎌倉では比企家と北条家の対立が高まっていた。運悪く木人形は比企の知るところとなり、全成は比企の北条打倒のコマとして追い詰められる。


阿野全成 ❤ 実衣


この回は悲しかった。以前から少し冷めかけていた全成と実衣夫婦が、前回打ち解けたと思ったら今回は悲しい別れの回となった。

実衣と全成の最後の別れのシーン。実衣が捕らえられた全成に会いに来る。全成は流罪が決まって二人はしばらく離れ離れになる。この時の全成が優しい。とても優しい笑顔。「誰も恨んではいけないよ」と実衣に話しかければ、その言葉を聞いた実衣は小さな子供のように頷く。この二人は本当にかわいい。

そして全成の壮絶な最後。見ていて苦しかった。絶命して全成の顔に日の光が射した時、ああ彼はもう苦しまなくてもいいとほっとした。

その後、全成の最後の様子を義時に問う実衣。この場面の宮澤エマさんが素晴らしかった。本当に上手い女優さん。こんなに悲しい泣きの演技は久しぶりに見た。もらい泣きした。

…最初は気丈に振る舞う。全てを聞いた後で「…あの人はそういうお方なんです。私にはわかってた」と涙ながらに夫を称え、少しの笑顔を見せ「やってくれましたね、最後の最後に…」と涙が溢れ出る。秒ごとに表情が変わる。すごい演技。今これを書きながらもシーンを思い出して泣きそうになる。

このお二人は、このドラマのコミック・リリーフだったのですよね。鎌倉で他がどろどろしていても、この二人は常に微笑ましい。実衣は様々な事柄を人に漏らしては事をオオゴトにしてしまうし、全成の呪術はあてにならないからまたこれも微笑ましい。色々と物騒な鎌倉で、癒し系のかわいらしい夫婦だったのに。全成が亡くなってしまったのは悲しい。これからの実衣に笑顔はあるのだろうか。



さて阿野全成のことは、どう記録されているのか?
この全成というお方は、

源義朝の七男。源義経の同母兄で、源頼朝の異母弟。治承4年(1180年)、以仁王の令旨が出されたことを知り東国に下った。石橋山の戦いで異母兄の頼朝が敗北した直後の8月26日、佐々木定綱兄弟らと行き会い、10月1日、下総国鷺沼の宿所で頼朝と対面を果たした。頼朝の妻・北条政子の妹である阿波局と結婚する。阿波局は建久3年(1192年)に頼朝の次男千幡(後の実朝)の乳母となった(Wikipedia)。

しかし『吾妻鏡』にはほとんど記載がないらしい。彼のキャラクターは三谷さんの脚色みたいですね。

最後の記録では、正治元年(1199年)に頼朝が死去し、嫡男の頼家が鎌倉殿を継ぐと、全成は実朝を擁する舅の北条時政と結び、頼家一派と対立するようになる。建仁3年(1203年)5月19日・子の刻(午前0時頃)、先手を打った頼家は武田信光を派遣し、全成を謀反人として捕縛し御所に押し込めた。全成は5月25日に常陸国に配流され、6月23日、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺された。享年51。



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前回の終わり、呪詛の木人形を手に取っていたのは、以前から鎌倉在住の平知康(矢柴俊博)だった。知康は蹴鞠師匠の役を解かれてもうすぐ帰京するとのこと。

丁度その頃、源頼家(金子大地)が病に倒れる。平知康が見つけた木人形は比企能員(佐藤二朗)に届けられていた。疑いは全成(新納慎也)に向かう。動揺する頼家。

文官の大江広元(栗原英雄)が北条義時(小栗旬)を詰問。←この事を義時は知らなかったのか? 前回、義時が(実衣からの伝えで)全成の行動を知った時、彼は呪詛されているのは比企能員だと思っていたのかも。

義時は全成に「頼家にこのことを問われても決して認めてはならぬ」と告げる。

比企能員が全成の館の家宅捜査。呪詛の道具などを見つけて全成を連行。比企は全成を拷問して自白させようとするが全成は口を閉じたまま。比企能員はこのことを北条家と結びつけ、北条を潰そうと企む。

義時は、実衣(宮澤エマ)を姉の政子(小池栄子)のところに避難させる。

義時が、御家人達の嘆願書を集めて全成を救おうとする。

三浦、義時、畠山、和田

頼家から送られた若者5人衆が政子の元を訪ね、実衣を引き渡すように迫るが、政子は仁田常忠(高岸宏行)を使って5人衆を追い返す。

戦士の横顔 仁田常忠

頼家の元に比企能員、義時、政子、大江広元が集まる。御家人達の嘆願書が頼家に届けられる。結果実衣は許され、全成は常陸へ流罪と決まる。

実衣と全成の最後の会話。全成は半年ほどで帰ってくると言う。

建仁2年(1202年) 北条時連(瀬戸康史)が改名。時房になる。

頼家と比企能員が御家人達への土地の分配でぶつかる。頼家は比企の土地を取り上げて他の御家人達に分配すると脅す。憤る比企。

比企が全成を訪ね「実衣が危ない」から頼家を呪詛するようにと呪詛の道具を渡す。断る全成。

しかし全成は隠れて呪詛を始めていた。その事が八田知家(市原隼人)から鎌倉へ伝わる。比企が全成の謀反だと断定。八田知家が全成成敗に常陸へ向かう。

建仁3年(1203年)6月23日 全成 斬首される。

そのことが北条家に伝わる。悲しむ実衣。憤る義時と政子。
「どうすればいいのか考えなさい」

義時が覚醒。比企を問い詰める「比企殿には鎌倉から出て行ってもらう。…鎌倉殿の元で悪い根を断ち切る」

頼家が倒れた。