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2022年6月18日土曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第22回「義時の生きる道」6月5日放送



歴史が動きます。とうとうあの有名な「イイクニツクロウ」の年…いや今の時代は、鎌倉幕府の成立は1185年説が一般的なのだそうだ。

さてこの回にもまた繰り返し出てくる坂東武者達の頼朝に対する不満。平家が滅び、戦がなくなって坂東武者達は迷っている。頼朝は文官と取り巻きだけを優遇すると皆不満。

そんな状況で曾我兄弟が親の敵討ちの計画。
そこには敵討ち以上の計画もあった。


流れ
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八重を失った北条義時(小栗旬)は、子供達の世話で忙しい。金剛(森優理斗)と鶴丸(佐藤遙灯)は兄弟のように育っている。

安達さんち親子


(建久元年(1190年)11月3日  頼朝 鎌倉を立つ)
(建久元年(1190年)11月7日  頼朝 千余騎の御家人を率いて入京)




建久元年(1190年)11月9日
源頼朝(大泉洋)。大群を率いて上洛。後白河法皇(西田敏行)に拝謁。
頼朝「戦の無い新しい世のため朝廷の力が必要。力をお貸しください」
頼朝 全国の守護を請け負うことを認められる。


頼朝に率いられて上洛した後家人達が集まって頼朝に対する不満を話している。
大江広元(栗原英雄) 和田義盛(横田栄司) 北条義時 畠山重忠(中川大志) 三浦義村(山本耕史)
…頼朝は飲み会に来ずに工藤祐経(坪倉由幸)と歌会に行った。

別の部屋では
三浦義澄(佐藤B作) 千葉常胤(岡本信人)、岡崎義実(たかお鷹)、比企能員(佐藤二朗)、土肥実平(阿南健治) 源範頼(迫田孝也)
…鎌倉殿は法皇に取り入るために我らを利用した。鎌倉殿と身内の者だけがいい思いをする。


公家・九条兼実(田中直樹)は娘を後鳥羽天皇(菊井りひと)に輿入れさせていた。


(12月14日、頼朝は京都を去り29日に鎌倉に戻った)
(翌年3月22日の建久新制で頼朝の諸国守護権が公式に認められた)

建久3年(1192年)3月 後白河法皇が崩御
 


建久3年(1192年)7月12日
後鳥羽天皇によって頼朝は征夷大将軍に任ぜられる

建久3年(1192年)8月9日 政子(小池栄子)に三男(政子の子としては次男)千幡/実朝 誕生
乳母は阿野全成(新納慎也)と実依(宮澤エマ)の夫婦

北条をライバル視する比企能員が姪の比奈(堀田真由)を頼朝の元に送ろうと計画。しかし政子の指示で比奈は後妻にと義時のもとへ送られる「比企と北条の架け橋に」 義時は辞退


建久4年(1193年)5月
北条時政の家人になっていた曾我兄弟。
 曾我十郎(田邊和也)

 曾我五郎(田中俊介)

彼らの父・河津祐泰(山口祥行)は、祖父・伊東祐親を恨んだ工藤祐経に討たれた。二人は父の敵討ちをすると言う。←北条時政(坂東彌十郎)が二人を応援すると言うのだけれど、工藤祐経は頼朝にとって便利な存在。勝手に頼朝の家人を討っても問題ないのか?

その裏話
曾我兄弟は頼朝も討つと言う。それをサポートする岡崎義実が比企能員にその話を告げる。
 曾我五郎「文官ばかりが出世する。」

岡崎も頼朝に不満を抱えている。
「新しい世を作るために我らは戦ってきた。それなのに平家がのさばっていた頃と何も変わらない。頼朝に近い者だけが得をする」

曾我兄弟はその計画に北条の兵を20人ほど使うと言う。曾我兄弟の烏帽子親は北条時政。しかし時政は曾我兄弟の頼朝暗殺の計画を知らない。

比企能員…もし曾我兄弟の頼朝暗殺計画が失敗すれば北条は失脚する。もし成功すれば比企が後見人の万寿が後を継ぐことになる。どちらに転んでも都合がいい。

梶原景時(中村獅童)が義時に、曾我兄弟の「謀反の気配」を告げる。義時の父・時政がそれに関わっているかも。