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2022年5月19日木曜日

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第18回「壇ノ浦で舞った男」5月8日放送



義経あっぱれ!


★あらすじ
源義経の軍が四国の平家を西に追い、源範頼の軍が平家の行く手を九州で塞ぐ。平家と義経軍の壇ノ浦での海戦。義経軍勝利。安徳天皇が入水し亡くなり三種の神器のうちの宝剣が海に沈む。京で義経は後白河法皇に気に入られる。義経の都での評判もあがる。義経は平宗盛を鎌倉へ送るが、彼への不信感を募らせた兄・頼朝は義経を拒否する。



義経の壇ノ浦の戦いのシーンが最高。時間は短かったのに手に汗握る。義経がかっこよかった。手段を選ばぬ戦い方で味方をも困らせていましたが、この義経は憎めない。彼の言葉「戦は勝たねば意味がない」にも納得。このキャラクターの義経は妙に説得力があって好ましく見てしまう。戦は勝たねば意味がない…その通りその通り。

それにしても(過去に何度も描写されてきた)平家の人々の最期の場面…宗盛以外の平家方の言葉や感情が全く描写されなかったのもよかった。これは源氏側から見た平家の滅亡。妙にリアル。戦闘状態だから源氏方も海に身投げする平家の人々をすぐに救いには行けないだろうし…実際に一瞬の出来事だったのだろうと思った。「波の下にも都が…」なんて台詞があるよりもずっと生々しい。心が苦しくなるような描写。淡々とリアルだから辛いし悲しい。脚本も演出も素晴らしい。

このドラマを見ながら歴史を少し学びなおしているのですけど、この壇ノ浦で亡くなった安徳天皇の母親の建礼門院徳子は助かったのですね。母親の時子と息子を目の前で亡くし一人生きた徳子。辛かったろう涙。


さて今回で一番気になったのは梶原景時の「チクり」。頼朝がもともと人間不信がちで、戦に強すぎる義経を恐れるのは理解できる。大江の腹黒さもまぁ解かる。しかし景時はなぜ余計な事を言って源兄弟不仲の火種を撒くのだろう。彼は義経を貶めてなにか得になるのか?

というわけでWikipediaで調べてみる。景時が義経の独断とわがまま勝手を恨みに思っていたのは本当だそうだ。彼だけではなく周りの御家人達も義経に困らされていたらしい。

「主に西国武士を率いて平氏を滅亡させた義経の多大な戦功は、恩賞を求めて頼朝に従っている東国武士達の戦功の機会を奪う結果になり、鎌倉政権の基盤となる東国御家人達の不満を噴出させた」などということもあったらしい。

そんな様子だったから「後に義経が後白河法皇から頼朝討伐の院宣を得て挙兵した時も(平氏討伐戦で義経が華々しい戦勝をしていたにもかかわらず)これに応じる武士はわずかしかいなかった」のだそうだ。やっぱり義経は戦の天才ではあっても自分勝手すぎて人から賛同を得られない人物だったらしい。

…ということはこのドラマの景時もただただ義経への不満を頼朝に訴えていただけなのかもしれぬ。なんだか意図的に義経を貶めようとしているように見えたけれど。


それでもこのドラマの不器用な義経のキャラクターはかわいい。そしてちょっとかわいそうだ。最初は「問題児だなぁ」と思ってたのにだんだんかわいくなった。

ツッパリ義経。誰にも止められない。実は素直。この義経は天才的なところが魅力的で、(正しくはないとはいえ)彼の「勝つならなんでもOK」な戦哲学も納得できる。しかし彼は感情が激しすぎて予測不可能でわがまま。直情的で人の気持ちも裏も読めず、思うままに行動するから政治的な計算も出来なかった。でもこういう人、なんだか憎めない。だって人の顔色を伺ってチマチマ人の裏を読んで今後のことを計算して…なんてめんどくさいもの。私も苦手。梶原さんより義経の方がずっとわかりやすくていい。
まぁ書物に残っている義経はかなり問題人物だったみたいですけど。

菅田将暉さんが役にぴったり。面白い。はまり役。彼の代表作になるのでは。


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鎌倉 
前回の木曽義高の殺害から心沈む大姫(落井実結子)。


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前々回の一の谷の合戦の後、平家は四国に逃げ屋島に陣を構える。
 
 義経軍は東から。
 源範頼の軍は平家の逃げ道を塞ぐため九州の平家を攻める。

元暦2年 1185年

周防(山口県)松崎天満宮。
範頼(迫田孝也)軍…北条義時(小栗旬)和田義盛(横田栄司)三浦義村(山本耕史)
東からの義経軍は遅れている。範頼軍は九州へ。筑前へ攻め込む。平家は逃げ道を断たれた。

摂津国 
義経(菅田将暉)軍…畠山重忠(中川大志)比企能員(佐藤二朗)梶原景時(中村獅童)三浦義澄(佐藤B作)
時化で海が荒れている。義経と梶原の逆櫓論争。皆が反対するにもかかわらず、義経が荒れた海を出陣すると言う。

澄んだ瞳の
何を考えている

2月 義経、5艘150騎で海を渡り屋島平家に奇襲をかける。

平家 不意を突かれ屋島を捨て長門の彦島へ落ち延びる(屋島の戦い)。

鎌倉 
頼朝「総大将は梶原景時に。九郎は戦に出すな」と文。

長門 壇ノ浦 
義経軍 頼朝からの文が届く 義経、頼朝の命に反発。

元暦2年(1185年)3月24日 朝 (壇ノ浦の戦い)

義経軍と平家軍との海戦。(午の刻(12時ごろ)開始) 
九州の岸には範頼軍…北条義時、和田義盛、三浦義村

平家軍は500艘。
↑なんと平家が500艘。大軍だ。びっくり。ドラマで描かれたCGでの海の様子もあんな感じだったのかな。すごいね。

義経「船の漕ぎ手を射殺せ」ためらう家人達を脅して従わせる。形勢は逆転。義経大活躍。

すご~い!

平宗盛(小泉孝太郎)「もはやこれまで」。平家の者達が船から飛び降り始める。驚きうろたえる義経軍。海に飛び込む平家を止める事はできない。

夕刻 戦いは終わり。海岸には死屍累々。義経「策が当たった。戦だ。多少の犠牲はやむを得ぬ。勝たねば意味がない」

↑義経には戦いに関しての哲学がある。これはある意味正しい。う~ん。今どきの常識で1000年前の戦のやり方の是非を問うことも難しいが、この義経の言い分は理解できる。目標を決めて最も効率のいい方法で目的達成。戦は勝たねば意味がない。その通り。

義経「義仲も死に、平家は滅んだ。この先私は誰と戦えばいいのじゃ。私は戦場でしか役に立たぬ」←ご自分の事をよくわかってますね。

それにしても、この海戦の場面は素晴らしかった。平家の船は500艘だったことを今回初めて知った。死屍累々の海岸のシーンも生々しい。激しい戦闘シーンの興奮と、その勝利の後の悲しさとむなしさ。目的を達成して心に虚無を感じる義経のシーンも素晴らしい。

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鎌倉 
頼朝「山木攻めから5年。早かった。天皇と宝剣を失った。九郎のやつを叱りつけてやる」しかし政子と二人の場面では「九郎がやってくれた」と泣く
↑ やっぱり頼朝は複雑だ。表と裏の顔がある。現実でもそうですけど、こういう人は私には理解が難しい。

 御所
後白河法皇(西田敏行)が義経を労う。

長門 壇ノ浦 
範頼は海で宝剣探し。

鎌倉 
梶原景時が鎌倉に帰ってきて頼朝に報告。
そして義経の常軌を逸した振る舞いを訴える。また京では義経の評判がいいとも。

 
義経のファンクラブができている。義経は鎌倉に帰りたがる。
鎌倉からは比企の(三浦透子)も来ている。

一途

 御所 
義経平宗盛父子を鎌倉に送る役目で鎌倉行きを許される。

鎌倉 
頼朝 検非違使を辞めていない義経に不満。
梶原「法皇は九郎を気に入っている。九郎を鎌倉に入れてはいけない。何を企んでいるかわからない
頼朝「九郎には会わん。腰越で留め置け。御所に入れてはならぬ」
義時 また静かに絶望。何も言えず。
↑この時の梶原は義経を悪く言って頼朝の不信感を増幅させていますよね。梶原は意図的に義経を頼朝から引き離そうと…義経を貶めようとしてるの?なぜ?

腰越
宗盛だけ鎌倉御所へ。憤る義経宗盛が頼朝への文を書いてあげると言う。

鎌倉
頼朝、義経からの文に不満(腰越状)5月24日

(6月9日頼朝 義経、宗盛父子に帰洛を命じる)
義経「私は法皇様のために生きる。京で源氏の名に恥じぬように生きる」

(宗盛・清宗父子は京への帰還途上の近江国で斬首された。)