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2021年3月4日木曜日

映画『十二人の怒れる男/12 Angry Men』(1957):偏見に打ち勝つ正義!







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『12 Angry Men(1957年)/米/モノクロ
/96分/監督:Sidney Lumet』
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先日、日本のドラマ『坂の途中の家』を見た後、旦那Aとアメリカの陪審制度について話していた。旦那Aが「『十二人の怒れる男』は見た?」と聞くので「見てないよ」と言うと、Aが「ええええっあの映画を見てないの?そりゃー見なきゃ、見ろ見ろ、そうだ俺が予約録画してやる」とテレビ放送を見つけて予約した。というわけで先週の週末に見ることになった。

そうなのだ。この映画は名作なのですよ。わかっているのですよ。これを見ずして映画ファンを名乗るべからず…そうですそうですそうなのだけど今まで機会がなかった。だってアメリカの陪審員制度と言われても昔の日本はそういう制度がなかったもんね。つまり興味がなかったのだ。

というわけでついに見た。 わかりやすかった。白黒映画で古い映画で室内劇だし、そもそも陪審制度に興味が無かった…と言い訳していたけれど何の心配もなかったです。テンポがいい。無駄が無い。あ…いや…途中でちょっと寝そうになったけど。しかし全部見ました。筋を覚えているから居眠りせずに見れたと思う。


★あらすじ
12人の陪審員が16歳の少年を父親殺しの罪で有罪か無罪かを決める。有罪になれば少年の死刑が決定する。ただし陪審員の12人全員が合意しなければ決定とはならない。ストーリーはまず12人の陪審員の1人(ヘンリー・フォンダ)が無罪を主張。それ以外の11人は有罪だと言う。そこからいかに12人全員が評決に達するのか。暑い夏の日、一室に篭って12人全員が証拠を再検証し結論を出すまで議論する。台詞ばかりの室内劇。


この映画のテーマは偏見に打ち勝つ正義。今こそホットトピックな内容。1957年の映画であるにもかかわらず、偏見を真正面から扱ったテーマに少し驚く。50年代のアメリカなんてありとあらゆる偏見がバリバリに存在した時代。そんな時代に偏見をテーマにした映画が撮られる。興味深いですね。このテーマが時代を超えて傑作とされる理由の一つなのだろう。

またこの映画は、構成がシンプルでわかりやすい。部屋の中で12人の論議を見るだけの話なのに、無駄が無く、テンポ良く話が進むので引き込まれる。わかりやすいことも名作と言われる理由なのだろうと思う。


★ネタバレ注意

スラム街に住む少年の父親が刺殺された。証人は2人。少年と父親の住むアパートと線路を挟んだ向かいのアパートの女性。そして少年のアパートの下の階に住む老人。女性は走りすぎる電車の窓を通して殺人の瞬間を見たと言い、老人は事件時の声と音を聞いて部屋のドアを開けたところ、少年が階段を走り去るのを見たと言う。少年は珍しいナイフを使っていた。少年は事件のあった時間に映画館で映画を見ていたと言うが、何の映画を見たのか答えられなかった。


陪審員のメンバーは様々な人々から構成されている。性格、年齢、育ちの違い、偏見を持つ者、事件への興味の大きさ、社会的立場や職の違いなど皆それぞれ。外国語訛りのある者もいる。陪審員同士の中にも偏見が存在する。そんな様々な陪審員達が証拠、証言の検証を重ねて論議をし、全員が偏見に左右されない公正な判断をして結論を導き出すのが大きなテーマ。

また映画として構成はシンプル。法廷に提出された証拠や証言に疑いを持ち、それを一つ一検証してその結果、陪審員達がひとりひとり考えを変えていく様子は大変わかりやすい。…この証拠はおかしい。これは無理があるだろう。曲解していないか。物的証拠は確かなのか。証人の立場は公正なのか。証言は可能なのか不可能なのか間違っていないか…。それらを検証した結果、おかしいと思った者が一人一人考えを変えていく。ストーリーの構成に無駄が無い


証拠や証言を検証し結果を出していくプロセスは比較的スムースに進む。あくまでもわかりやすく検証は進んでいく。陪審員達は偏見や都合で言動もそれぞれだが、結果はぽんぽんと決まっていく。(誰もが持つ)偏見に打ち勝つことをテーマにした内容、そしてその内容をわかりやすく伝えるために話の構成を複雑にしなかったことが、この作品が名作、傑作と言われる理由なのだろう。

ストーリーに影響する裏話的なものは、最後に意見を変える陪審員(3番)の話。彼が少年の有罪意見に固執した理由が最後に明かされる。それが最後の驚きの種明かし場面なのだろうが、私には正直そこが一番納得できない場面だった…彼の意固地さの理由としては弱いと思った。反対に上手いなと思ったのはスラム街出身の5番陪審員のナイフの知識。なるほどと思った。


それにしてもこのシンプルさ、わかりやすさは時代的なものだろうか? もし今の時代の映画なら、おそらくストーリーはもっと複雑になるだろう。子供の過去を覗き、子供と父親の関係を掘り下げ、父親がアル中だとか母親がネグレクトをしていたとか、(アガサ・クリスティ的に)陪審員それぞれの問題をもっと掘り下げたり、事件の再現シーンや個人のフラッシュバックのシーンなど…もっともっと枝葉を広げ内容を膨らませて2時間ぐらいの映画にしそうだと思った。


この映画が作られてから64年。今の時代の同じテーマの映画を想像すれば、この映画はあまりにも簡単に全てが解決してしまうので、多少予定調和的にさえ見えてしまうのは仕方が無い。しかし無駄を省いてシンプルに、誰にでもわかりやすく、少しのスパイスと驚きで綺麗にまとめ、時代を超えて偏見に打ち勝つ正義を説いたこの映画が名作と言われるのは納得できる。


こういう映画だったとは知らなかった。深い心理劇ではないけれど、思ったよりも面白かった。見て感動するとか言葉が心に沁みる…などということは無いが、理詰め理詰めで96分、ぽんぽんぽんと解決していくから飽きない。室内劇なのにエネルギーが大きい。男ばかりが大声でガミガミとうるさい映画だけれど、96分間中だるみすることなくテンポ良く進んでいくのは見事。

他の映画通の方の批評をちょっと見てみたのだけれど、どうやらカメラワークも巧みらしいですね。室内の撮影だからこそ効果的なカメラワークは大切なのだそうな。なるほど。