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2016年10月30日日曜日

NHK大河ドラマ「真田丸」第40回「幸村」 10月9日放送



このところますます「真田丸ほやきマラソン/海亀の説教部屋」になりつつある感想文。

嫌いじゃないんですよ。毎週楽しみにしていないわけではない。40話も見てきた人物達がこれからどうなるのかは知りたい。見たい。しかし何故かいちいち文句を言いたくなる。ガミガミ説教がしたくなる。なぜだろう。

脚本家さんの色でドラマを進めて行く作品というのは、脚本家さんの作り出すゲームにノッてそれを楽しむのがルールなんだろうと思う。三谷さんのドラマは小ネタを楽しめるかどうか。…わかっているのよ。ノレれば最高…しかしノレなければ全く面白くない…。

というわけで今後も「真田丸絶賛感想文」は書けないと思うので、このドラマのファンの方はお読みになりませぬよう。

登場人物達は好きなんだけどなぁ…。


★あらすじ

大坂からお迎え。豊臣家と徳川家の化かし合いから戦乱は避けられぬ…信繁に手伝って欲しいと言う。信繁、最後に一旗あげようと立ち上がる。新しい名前は「幸村」

●感想

・大坂からの誘い「大坂に来て豊臣のために戦って」
・信繁「お断りする」
・片桐さんの誘い「戦は避けられぬ」
・方向寺の大仏開眼で、家康が梵鐘に刻んだ文字にいちゃもんをつけてきた。その辺りを片桐さんを絡めてうだうだうだうだうだうだうだ…といろんな事が重なって徳川の大坂攻め決定!大坂にはもう浪人たちが集まっている。おぅ皆早いね。

・信繁「私は大群を率いて戦った事がない。囚われの身。戦がそれほど好きではない」と再度お断り。

↑そうなの。そのとおり。この信繁君は九度山の隠居生活にドップリ浸かって楽しく過ごしているのね。息子ともわかり合えて家庭円満。野菜もよく育つ。きりちゃんは刺繍の先生をして収入があるし、真田紐の収入もある…小さな幸せだけど信繁君は十分幸せ

 彼個人は我が強いわけでも意志が強いわけでもない。だからアクの強い秀吉や三成にも可愛いがられた。人の下に仕えれば優秀。自分を表に出さなくてもやっていける人。自分から何かをやりたがる人ではない

 自分のための欲は皆無。エゴも無い。自分の子供でさえ知らん顔…家臣に押し付ける。何事に対しても「私はこうしたい」という強い意志がない。覇気が無い。なんだか人として基本的なエネルギーが欠けている

 だからその次の展開…きりちゃんに説得され、過去を回想しただけで「大坂で徳川と戦う」などと考えが変わるのは変だ。彼はそんなに元気のいい人物じゃないと思う。人間は一晩で性格が変わるものでもない。

 徳川は数多くの武家を従えて何十万。大坂側は浪人の集まり。最初から難しい戦ですよね。普段から知的で冷静、インドア派な信繁が、そんな戦に命をかけるなんて言い出すだろうか。だからこの展開には違和感があった。
 
 人が大きな事をやり遂げるためには、本人にガツガツとしたやる気がないとダメなんですよ。何事でもそうです。本人にその気がないのに人に言われただけで「うんうん」と(行かなくてもいい)戦には行かないと思う。
 
・きりちゃんの「あなた戦に行きなさいよ」のアドバイスにも違和感。彼女は40話に至る今まで超現代的なリアリストで、こんな話にも「戦なんて無駄なことはやめなさいよ。ここにいれば十分幸せじゃないの。家族はどうするのよ」などと言いそう。なぜ急に信繁を(無駄な)戦に送り出すのか? きりちゃんには「豊臣家」とか「義」なんてどうでもいい話でしょう?
 
 
・もし信繁にもっと覇気があって、九度山に篭っていても「親父見ていてくれ。いつか俺は必ず家康の首をとりに行く」と14年間復活のチャンスを狙っていたような人物だったら、この展開も納得できただろうと思う。

信濃編での若い頃の信繁は、もっと冒険好きでやんちゃで意思も強そうな印象だったのに、大坂編ですっかりおとなしい傍観者になったんですよ。そういう人物がいきなり「日本一の兵」に変身することは難しいだろうと思う。人物設定が破綻してる。

・回想の映像は良かった。
・新しい名前は「幸村
・片桐さんが最後に大阪城を出る場面はしんみりとした。大阪城からどんどん人がいなくなる…。
・大蔵卿局がますます強くなる。