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2013年4月7日日曜日

映画『十三人の刺客/13 Assassins』 ;グロはいかんよグロは…日本の暴力映画は西洋でどう見られているのか


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『十三人の刺客(2010年)日本/カラー
126(International)監督: 三池崇史
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あー…三池監督の感性が嫌いだと言ったらそれまでで、じゃあ見なきゃいいじゃないかという話。そのとおり。

それでも時代劇を見たい。近年日本の時代劇は絶滅寸前らしい。そんな中で結構話題になった現代の時代劇。それなら見てみよう。しかし監督はあの(グロで悪名高い(笑))三池崇史監督。さてどうしよう…。

結局、アメリカでも去年劇場公開されたけど見る勇気が出ず。…と思っていたらオンライン映画サービスNetflixで公開されているのを発見。早速恐る恐る(一人で)見てみることにした。

以下おおいに吼えます。もちろん個人的な感想。かなり好き嫌いで言っている。だけど世間で高評価の映画にこういう反対意見があってもいいと思うので正直に書いておきます。海外でも有名な三池監督の映画に、日本国内からこういう意見が出ることはまずないだろうと思う。この映画がお好きな方は非常に気分を悪くされると思うので、決してお読みになりませんよう…。
 
 
 
ネタバレ注意

…下品ですね。SMAPの稲垣吾郎さんのキャラ設定の描写、あれはなかろう…。苦しむ娘さんのシーンなんて、あんなもの全部見せる必要はない。そういう大変な話だっていうのを想像させればいいだけでしょう(そもそも設定がありえない)。もうあれでダメ。全然ダメ。表現が不快。下劣。だから三池さんの映画はダメなのだ(ファンの方ゴメンナサイね)。

後半のアクションシーンも、もう少し面白いかと思ったら、単なる血みどろの斬り合いを延々と40分間見せられるだけ。くどい。とにかく不快。何から何まで醜悪。アクション映画と言えるほどの爽快感もかっこよさもない。

ほんとにあれだけの有名な俳優さん達を使ってこんな駄作しか出来ないなんて信じられない。とにかく斬り合いのシーンが長すぎ。人を殺して殺して殺しまくるPCゲームをやったことがあるけど、ちょうどあんな感じ。実写なんで不快感は10倍。ほんとに酷い。

まず大勢の敵を殺すという本来の目的があるのなら、柵で何十人と囲って23発爆弾を放り込めば済むだろうに、わざわざ少人数で斬り込んでいくなんて全く理解不可能。明らかに馬鹿で無駄な自殺行為をしている人物達を決してかっこいいとは思えない。あれではただ血の気が多いばかりの馬鹿集団。肝心の斬り合いも、全く変化のない血みどろシーンばかりを延々と見せられてげんなりする。ただただ苦痛。

何故かSMAPのゴローちゃんが高評価みたいだけどそれも疑問。大物アイドルにあの悪者キャラ設定が斬新なだけで演技は棒。高評価している方は、もう少しちゃんと見たほうがいい。
 
とにかく中身のないキワモノ映画。知性を全く感じられない。あれだけのお金をかけてよくもこんな駄作がつくれるもんだ。良かったのは俳優さん達の熱演だけ。松方弘樹さんは超かっこよかった!
 
 
それよりも、三池監督で気になるグロ表現について文句を言いたい。一度言いたかった。

一般的に映画の暴力描写そのものは、話の内容次第ではそれほど気にならない。だけどとにかく理解できないのは、人物のもがき苦しむ様子を娯楽として見せること。三池監督はこれが得意でしょ。殺すならパッと殺さないと…。うめき声、苦しむ表情、苦痛、痛み、残酷さ…こういう人の苦しみを娯楽にしちゃいけない。品性の問題。見る側もそういうものを表現として当り前だと思っちゃいけないと思う。人の苦痛を娯楽として楽しむなど、人として下品極まりない。

そういうタイプの映画が存在するのは理解している。しかし、そういうタイプの映画にはそれなりの存在するべき場所があるはず。ゲテモノ残酷映画にはゲテモノ残酷映画の居場所があったはず。問題なのは、近年、日本やアジアで製作される残酷ゲテモノ映画が、どうも西洋で「それなりの評価」を得ているらしいこと。

むかしイギリスに住んでいた時、三池監督の『オーディション』が話題になったことがあった。あまりの過激さのためなのか、どういうわけか「フェミニズムに絡ませた芸術映画枠」に入れられてしまって高評価だったんです。TVでも深夜に放送されたので見たんだけど後悔した。あまりに酷くて途中で脱落。あんなもの芸術でもなんでもないじゃないの。残酷キワモノ映画でしょ。
 
 
イギリス(西洋)にはどういうわけか、アジアの残酷映画を好む人達がいるんです。「Asian Extreme」なんて言い方もあるくらい。しかしな…他にいくらでもいい日本映画があるだろうに、残酷描写ばっかりの下品なBC級映画ばかりを採り上げて、現代日本映画の代表と言われるのも困ったものなんです。ほんとにとしか思えないんだけど…。

また、日本の残酷映画が西洋でウケたからといって、日本人がいい気になるのも大間違い。どうせ西洋なんて最初からアジア人を偏った目でしか見ていないんです。アジア映画の残酷描写は、そういうものをわざわざ見たいアチラの物好きを喜ばせてるだけ。特殊な枠。だからああいうキワモノ映画が西洋でウケたからと言って「西洋一般にも受け入れられた芸術表現だ」などと日本人がいい気になってはいけない

一番の問題は「アジアの残酷映画を好む特殊な市場」の要求に過剰に応える(西洋の)映画配給会社のバイヤー達。彼らが勝手に日本やアジアの残酷映画ばかりを面白がって採り上げるからこそ西洋では「アジア映画=残酷描写」などというとんでもないジャンルができあがりつつあるんです。三池監督はそれに上手くのったんだろうと思う。しかしそんな「特殊な枠」を「一般にも評価された」と思うのは大きな間違い。
 
 
西洋人はアジアを本気で理解しようとしないのが基本。最初から別枠なんです。だからどんなに妙な映画でも珍奇なものだと面白がったりする。そんなレベルでアチラにウケてもしょうがない。三池監督に限らず残酷描写ばかりの日本映画ばかりが海外でもてはやされるのは非常に大きな問題。もっと別のところで勝負して欲しい。

この映画も、一見本格サムライ映画と見られているのか、海外では高評価。だけど実際はくどいグロ表現に頼った全く中身のない駄作。映像表現も下品。まず日本人がそれに気付かないとダメ。こういうものが現代の日本を代表する映画なんてとんでもないです。もっとマシな日本映画が見たい。もっと「普通の枠」の日本映画にがんばって欲しいと思う。