-----------------------------------------------------------------------------------------------
『Le
gamin au vélo---The
Kid with the Bike(2011年)/ベルギー、仏、伊/
カラー/
87分/監督; Jean-Pierre
Dardenne、Luc Dardenne 』
--------------------------------------------------------------------------------------------------
ネタバレ注意
リアルです。映画的な演出は一切無し。まるでどこかで現実に起きている事を目撃しているような気にさせられる。ものすごく地味。静か。普通の人達のちょっとした日常の問題。
この映画、何よりもリアルさがすごい。最初はそれが解らなくてちょっと困った。だってあのガキが余りにもかわいくないから。リアルにひねくれてて手が付けられない。まぁ困ったもんです。映画だから「まぁこの子はこんな目にあって可哀想に…」などと思えるけど、現実にあんなに反抗的な子供が目の前にいたら、即刻施設へ送り返すと思う(ゴメンナサイ)。…という以前に、まず今までに会った事もない子供を、そんなに気楽に受け入れたり出来ないです。よくあの親切な女性はあんな厄介者を引き受けたもんだとあきれるくらい。私なら正直係わり合いになりたくないだろうと思う。
だけど、まてよ。これ映画じゃないの。このかわいくない子供の演技、ぜーんぶ事前にリハーサルして脚本どおりに演じたものなのだ。そんなことを全く忘れてしまうくらいリアル。脚本も演出もすごいし、子供ながら主人公のこの俳優さんもすごいと思う。
映画内の出来事に至るまでの、それぞれの人物達の過去の説明や解説的なものは一切無し。なので、あんな気難しい子を気楽に引き受ける女性の心理も理由も解らない。…だけど現実の私達の日常でも、(日々出会う)いろんな人達のいろんなことが必ずしも明確ではないのは普通のこと。そんなときに私たちは「人それぞれだから…」とか「彼女なりの理由があるんでしょう…」なんて見て見ぬ振りをしたりするもの。この映画もそんな現実の日常のように、なんの説明も無し。私は「もしかしたらこの女性は以前に子供を亡くしたのか…」とか「離婚した旦那に子供をとられたのか…」などと余計なことまで想像してしまった。そんな風に思わせるところまでリアル。もちろん子供をいやがる父親の解説も皆無。だただた自己中のいやな親父なだけ。そんな風にどの登場人物も一切の説明がなされない。
だからこそ、「あれはこうなのか…」「なんでこの人はこうなんだろう…」などと映画を見ながらいろんな事を色々と考えてしまうのも最近の映画では非常に珍しい。少なくとも近年のハリウッドの作る映画でこのようなものは見たことが無い。こんな無骨な映画作りは、現代のものというよりも、大昔のヨーロッパのリアリズムの映画(よくは知らないけど)だかなんだかそんなものを思い起こさせる。
時間が経つにつれ、このひねくれ者のシリル君もだんだん心を開いてくる。だけど私にはこの子がまだまだ信じられない。これからティーンになれば、もっと本格的な反抗も始まるはずだ。うわー大変じゃないかな。だけどそんな風に思わせるのも、リアルな映画だからこそなんだろう。
無骨です。ぶっきらぼーな語り口。だけどこの映画のそんな無骨なリアル感は(実際には)計算に計算を重ねて緻密にフィクションとして構築されたもの。繊細な作り手の目があるから可能なのだ。 シリル君のひねくれ具合も、(パパに拒絶されて)心がキューンと苦しくなるような寂しさも全てリアル。だから見ていて結構つらい。本当はとても可愛いんです、シリル君。
最後も(脳震盪を起したのか)暫く気を失った後、起き上がってフラフラしながら(シリル君が)うちに帰っていく場面で唐突に終了。ほんとにこの子は大丈夫なのか…。いやきっと大丈夫だろう…。どうかな…。などとまたいろいろと考えながら映画を見終わった。
西洋の世界では子供は社会に属するものだと聞く。親がだめなら社会が子供を育てるのは当たり前。この映画のような状況が現実の日常で起こっても、誰かが子供の里親になるべく名乗り出るものなのだろう。彼らが子供に手を差し伸べる優しさの源はキリスト教の教える慈愛の心なのだろうと思う。素晴らしいことだ。だが実際に子供を引き取るなんて簡単なことではない。この映画のシリル君も難しい問題を突きつける。それでもこの映画の女性は一貫して彼を救おうとする。どうしてそこまで…。
この映画を見た者は、誰でもちょっと居心地悪く自問せざるを得ない。「私にはできるだろうか…。」なんだかいろいろと考えさせられた。