能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2012年3月20日火曜日

再考-不思議の国ニッポン-1=過去30年でどれだけ状況は変わったのか:東京カワイイTV、ファッション


前々から書こうと思っていたNHKの「東京カワイイTV」。これ、いったいどんな番組なんだろう。海外に長年住んだせいで、日本懐かしさから、ついつい「西洋かぶれ」ならぬ「日本かぶれ」になってしまっているのだけれど、この番組はまさに面白不思議ニッポンの情報だらけで面白い。もちろんいまさら渋谷系だのギャルだのが気になる年齢ではないのだけれど、この番組を見ていると、日本(東京)もここまで変わったか…と考え深いものがあるのだ。


私が美大生だった頃の20云年前、雑誌an.anは当時のトンガリ学生のおしゃれのバイブルだった。たぶん同じ時代だったと思うのだが、世間ではニュートラとかハマトラとかいうものが流行っていたと思う(よく知らない)。そんないいとこのお嬢さん風ファッションに逆らって、美大生や専門学校生は妙な格好をしていた。当然、大変少数派だった。

当時、覚えてるのは生成りのガーゼ生地で出来たよれよれの服、東南アジアだかアフリカあたりのテーマの皮のベルト。ガーゼの靴下にヌメ革サンダル。布の切れ端をただ頭に巻きつけたヘア(幾重にも巻いたの布すき間から髪の束を四方に出す)。または蛍光色の小物。派手な靴下にドクターマーチン。裾を切り落としたTシャツ。膝下カットのパンツ。クラスメイトの女の子には頭の後ろの下半分を刈り上げにして、長めに伸ばした上の髪をオレンジに染めた逆ちょん髷みたいなヘアをした子もいた。

こういうの、みんなロンドン発の若い子達のストリートファッションを真似していたのだ。70年代後期のパンクが下火になって、ロンドンにはニューウェイブ、ニューロマンティックあたり前後から派生したお洒落なバンドがいっぱいいた。バウワウワウ、トンプソンツインズ、カルチャークラブ、バナナラマ、ハワード・ジョーンズ、等々…妙な格好が面白かった。

それからすぐにニューヨークでマドンナやシンディ・ローパーが、ターバン頭に蛍光口紅、ゴム輪の腕輪、下着に鎖じゃらじゃらの手作りネックレスでMTVに登場し始めた。もちろん、そんな格好もすぐにコピーした。髪に赤や青や銀のスプレーをして、学校のあった郊外から友達と電車に乗って都心に出かけた。

当時、日本でああいう妙な格好をしていた子達は、物を創る分野やファッション関係の学生が多かった。ロンドンファッションにすぐ飛びついていたようなトンガッた子達が、学校を卒業すると、ヘアメイク、ファッション関係、広告業界、製作プロダクションなどに職を見つけた。物を創ったり、デザインしたり、雑誌のページのレイアウトをしながら「何がカッコイイのか、何がお洒落なのか」を作り出す側になった。

あれから、30年近く経つ。(おっと…)


話が長くなったが、言いたかったのは、この「東京カワイイTV」を見ていて思うこと=「今の東京は30年前のロンドンやニューヨークと同じ位置にいる」ということなのだ。東京の若い子達が世界に向かって「最先端のおしゃれ」を発信し(というよりも勝手に楽しみ)、それに(少数ではあっても)世界中のトンガリっ子たちが飛びついているという図式、30年前のロンドン発信のものと全く同じなのだ。デザイナーブランドが創ったものではない流行。どちらかといえば世間や親はあまりいい顔をしないファッション。自由な創造力。渋谷や原宿のおしゃれな子達がここ15年ほど(だろうか)で徐々に作り上げた独自のファッション。そんなものが、世界のオシャレっ子にうけているらしい。

録画していた番組は、東京に、世界中から選ばれた「カワイイファッション」の女の子達が集まって、TOKYO GIRLS COLLECTION  の舞台に立つべくオーディションを受けるというもの。日本代表の2人がセンスの良さだけで選ばれたように見えるのに対して(日本人は自分の意見を話す訓練を受けていない)、ニューヨークやマレーシア、中国、フランスから来た子達は意志も主張も思想もしっかりとしていて、まるでアートスクールの授業で発言しているように見えるのも対照的で面白い。がんばれ日本ガールズ!


以前の「Perfumeを海外へ」のエントリーでもいろいろと書いたのだけれど、こういう状況はほんとに面白い。こういう海外で日本のファッションに入れ込んでくれてる世界中のトンガリっ子達が、もしかしたら将来、世界で未来の流行を作ってくれるかもしれない。このオーディション参加者の中でニューヨークから来てる子は、今アートスクールで映像を学んでいたと思う。ほら、昔ロンドンのストリートファッションを追いかけてた日本の美大生と同じじゃないか。これはかなり嬉しい。日本=東京が世界のクリエイティブ系の若い人達の憧れになってきていることに、改めて時代の変化を感じるのだ。もう今の日本は西洋を追いかける必要が無い

余談だが、もっと面白いのは、そんなフランスのトンガリっ子のあいだで、日本のビジュアル系のバンドが人気らしいのだけど、ちょっとまて…。そもそも日本のビジュアル系は、大昔のロンドンのバンドJAPAN DURAN DURAN、BAUHAUSあたりを真似していたんじゃないのか(おっと、タイプが違うのか…?)。それに一部に人気のロリータファッションだって、もともと日本人の女の子がフランス人形の格好を真似したものではないのか?? それをフランス人の女の子が「『ベルサイユのはら』を読んでマリーアントワネットが好きだからこういう格好をするのよ。日本にはあこがれるわ。」などと、もうね…なんだかよく解らないけど、いろんなことがいろんなところをぐるぐる回っているみたいでシュールです。

2012年3月18日日曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第11回「もののけの涙」


ますます朝廷ダークサイドに突入のようだ。得子さんはいやだな。嫌われキャラまっしぐら。崇徳帝の棒の妙な感じがやんごとなきお方らしくていい。それにしても、この時代の天皇家、ほんとにいろいろと大変だったんだなと思う。権力と富と暇がありすぎると人間どこまでも堕落していく見本のようなものだろうか。あたりまえのことだが天皇家の人々も同じ人間なのだ。無論このような話日本だけではない。イギリス王室でも、フランスでも中国でも、あちらもこちらも権力の上に立つ人々のこういう類の話、世界中にころがっている。

この時代の頃の歴史を全く知らないので、宮中の権力争いがらみのことには毎回「へぇ~」などと驚いているのだが面白いなと思う。やっぱり、こういう楽しみは長い時間をかけて話を紡いでいける大河ドラマならではだろうと思う。感謝したい。欲を言えば、このあたりの話をもう一歩踏み込んで詳しくやって欲しい。

時代考証云々や人物の描き方など、こうしてくれればもっといいのになどと要望もあるが、もう文句だけを言うのは止めにした。それよりも楽しもうと思う。大河ドラマだもの。



今回は大好きな2人の女性がいなくなってしまって悲しい。たまこさまは出家するし、明子さんは亡くなってしまった。悲しい。この2人の美女、お2人ともそろって声が美しい。美人の定義ではまず顔が一番なのだと思うが、それ以上に女性の声というのもずいぶん印象が大きいものだと思う。得子さんがいじわるくがなりたててるのにたいして、この2人、声だけで美人だ。たまこさまがいろいろと乱れていたのに、どこか純粋で憎めなかったのも彼女の声のせいかと思う。明子さんの声も彼女の美しい顔と同じくらい涼やかで美しかった。もう、このお二人の声が聞けなくなるかと思うとかなしい。

余談だが、昔ロンドンに住んでいた頃、金髪の背の高いかっこいい青年が、大変小柄なインド人の女性にメロメロになっているのを目撃したことがある。バーとかそんな状況ではなく、単に会社の受付の女性と話していただけなのに、このスーツを着た育ちのよさそうな白人の青年、彼女と話しながら明らかにデレデレしていたのだ。階級社会の英国で白人のホワイトカラーの青年が異人種の女性に惹かれることはあまりない。この女性、見た目も可愛かったが、声が「」可愛いかったのだ。ちょっと面白い光景で記憶に残っている。いい声の女性は強力な武器を持っていると自信を持っていいと思う。ふふふ


ところで、関東の源氏サイドはずいぶん荒々しい。京都で比較的チャラチャラしている清盛君達と違って、義朝くんはかなり男っぽい。短い場面で残念だがこちらの話も面白そうだ。

それから清盛君、お坊さんを蹴飛ばしてはいかんと思うよ。お坊さんが可哀相だ。明子さんが亡くなったシーンで、こちらももらい泣きしていたのに、直後のこのシーンでまたまた大爆笑してしまった。あははははははは…まだまだ野蛮人ですね。こういうものも、ただゲラゲラ笑って楽しもうと思う。



映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙/The Iron Lady 』:英国の現代史をもっと見たい





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The Iron Lady 2011年)/英・仏/カラー
105分/監督;Phyllida Lloyd
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★ネタバレ注意

まず、メリル・ストリープさん、アカデミー賞おめでとうございます。100%納得。いつものことだけど彼女は素晴らしい。最初は、なんでイギリスの誇りみたいな人をアメリカ人が演じるのだなどと思っていたのですが、参りました。あまりのすごさに言葉が無い。英国訛りも何もかも全て完璧。スクリーンに映るメリルさんはサッチャーさんその人である。あまりのなりきりぶりに、まさに息を呑むとはこのことか。メリル・ストリープとは、本当に歴史に残る偉大な女優さんなのだと思う。

と書いた後で映画評に移ろう。


この映画、あまり良くない。期待はずれと言ったほうがいい。というのも、この映画、あのサッチャーさんなのだから。あの、あの、偉大な鉄の女の伝記映画なのだから。実際これはひどいと思う。

ストーリーはサッチャーさんの現在から始まる。彼女はリタイアしたお年寄りだ。最愛の旦那様デニスさんもすでにお亡くなりになっている。時々娘が会いにくるし、自伝の本にサインをしたりと仕事らしいこともちょこっとやっているのだが、時折、亡くなったはずのデニスさんが話しかけてくる。どうやらサッチャーさん認知症らしいのだ。 え?? そんな現代のサッチャーさんが昔を振り返るという構成で話は進む。

思い出の中の彼女は若い。オックスフォード大学で化学を学び、研究者になり、そのころから政治に興味を持ち始める。1959年に34歳で保守党で政界入りする。そんな彼女のサクセスストーリーはびっくりするほど足早に過ぎていく。

問題はそこなのだ。彼女のサクセスストーリーが波に乗ってくると中断され、現在のお年寄りのサッチャーさんにもどってしまう。そこで、うだうだと1015分と過ぎていく。その後、ずいぶん多くの出来事をはしょってまたサクセスストーリーは再開する。そして、また現代に引き戻され…過去、現代、過去、現代…。こうやって、映画全体の半分は、幻覚や幻聴に悩まされる不安なお年寄りの話しに費やされる。それはないぞ!


だって、このサッチャーさん、ありえないくらい規格外の偉大な女性なのだ。まさに歴史に残る人とはこういう人のことをいう。コネもいっさいない若い女性が(女性に対して信じられないほど排他的な男性優位の)保守党に受け入れられ、それだけではなく、努力と、意思と、考えられないぐらいの聡明さで、周り中の頑固おやじ達をうならせ、その保守党のトップにまでのぼりつめ、ついには先進国の中で史上初めて、女性として国民に選ばれたリーダー=首相の席を勝ち取り、沈みかかった国を建て直し、必要とあらば、国を守るため軍を率いて戦争に突入するという。そんな普通では想像もできないほどの偉業を成し遂げた女性なのだ。かっこよすぎる。おまけに2児の母親だったりもする。

過剰な社会保障や、潰れかかった国営産業をかかえていた70年代の英国。1979年に54歳で首相に就任すると、それらをばっさりと切り捨てた彼女の英断は、他の人には出来なかったかもしれないといわれる。その独断の政策は「血も涙も無い」と言われるほどで、英国ではいまだに彼女に対して複雑な感情をもつ人も多い。あまりにも意思が強くて感情に動かされないことから「鉄の女」と呼ばれ(元々は1976年に敵国ソ連の新聞が貶す目的でつけた渾名。「融通のきかないガチガチ頭の鉄のような女」の意味。後日彼女本人が「強さ」を強調するものとして気に入って使用。瞬く間に国際社会でも知られるニックネームとなる)、問題があれば、多少の犠牲を払ってでも大鉈を振るうその政策は、多くの人の反感をかったりもしたのだが、結局、英国は彼女のおかげで立ち直ったのも事実なのだ。


それだけではない。彼女はまず女性だ。そもそも保守党というのは伝統を守りたい人が多い。彼女が政界入りした1959年、他に女性はいなかった。そんな時代に、この食料雑貨屋の娘は、たった一人で、自らの知性と意志の強さで自分の道を切り開いていく。最初は誰も彼女に期待なんかしていなかったはずなのだ。そんな男尊女卑のいじわるなおやじ達に笑われながら、歯を食いしばって人生を一歩一歩勝ち抜いていく。一つ成果をあげ、また一つ成果をあげ、そうやって保守的なおやじ達をひとりひとり自分の見方につけ、そして最後は首相にまでのぼりつめたのだ。それだけで、大興奮の映画ができてしまうではないか。

そんな女性なら、彼女の人生そのものがドラマであるはずだ。年取った彼女を見て面白いと思う人がいるのだろうか。それともあの偉大な女性を一般人と同じレベルに引き摺り下ろして、やっぱり同じ人間だと感傷的な話にしてしまうことがいいと思ったのだろうか。それなら、あの偉大な女性に対して大変失礼だと思う。

もし英国国内で、複雑な感情がまだ残っているのだとしたら、観客に改めて評価を問うような映画を作ってもいい。彼女の政策のために職をなくしホームレスになった人もたくさんいる。彼女のせいで大変な思いをさせられた人々の側の真実のストーリーを語ってもいいのだ。そうやって、政治家としての彼女の姿と、街の現実を対比させてもいい。

また、彼女には双子の子供がいる。この映画も多少子供達とのことに触れてはいるが、さらっと上をなぞっただけで、詳しいエピソードとしては描かれていない。仕事と家庭の両立、いつも心強い見方だった最愛の夫デニスとの夫婦愛。働く女性の大先輩として、それはそれはいろいろなドラマや葛藤があったはずなのだ。それが、あきれるほど、描かれていない。もう少しなんとかできなかったものか。


「鉄の女」と呼ばれ、誰にも出来なかった事を余裕でやり遂げた政治家、先駆者、偉大な女性。そんな彼女の話を見たかったと思う。

2007年、 81歳のとき、英国国会議事堂内に彼女の銅像が建立されたのだが、そのときのコメントがまたいい。「あら、私は鉄の像の方が良かったんですけどね、ま、銅像でもいいでしょ。錆びないしね。」まだまだお元気でいていただきたいもんです(笑)。

いっしょに映画を見たうちの米国人旦那Aも、かなりがっかりしたらしく、「もっとすごい映画になったはずだったのに、あんなに(神がかり的に)上手いメリル・ストリープの才能がもったいない」としばらく文句を言い続け、挙句にその勢いでアマゾンから絶版になったサッチャーさんの分厚い伝記を購入して、いま読みふけっている。ほんとにずいぶん不満の残った映画だった。

でも、メリル・ストリープはすごい。映画としてはともかく、もしすばらしい女優の演技を見たいと思うのなら、大変前向きにお勧めしたい。

2012年3月16日金曜日

映画 『ノルウェイの森』:雰囲気の映画





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『ノルウェイの森(2010年)日本/カラー/133分/
監督; Anh Dung Tran
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原作は45年前に読了。もう若い人の気持ちに共感できるような年齢でもなく、この本の感想も「なんでコレがベストセラー???」。実はこの本が発売された頃もよく覚えているのだが、あまりにも評判だったので、ひねくれものの私はそんなもの意地でも読むものかと思っていたのだ。それから20年放置。結果、この本を読むべきだった時期をずいぶん昔に通り過ぎてしまったのだろうと思う。ともかくこの本の印象は、登場人物達が性に対してあまりにも深刻で、もう…いいよ…どうでも…という感じだったのだ。なので、思い入れもいっさいなし。
映画化への興味はあった。監督は、あの『青いパパイヤの香り』のベトナム人の監督。そのパパイヤの映画、単純な話しながらとにかくみずみずしくて綺麗でいい映画だった。今回、どういうつながりでこの人が監督をすることになったのか知らないけど、原作も読んだことだし、これは見なくてはと思っていた。

これはよかった。まず、絵がきれい。寮の汚い壁、昔の服装、昔よくあった白のほうろう製の赤い花柄と赤い蓋の鍋、チープな蛍光灯に照らされた小さな台所、マニアックな個人経営のレコード屋さん。そんなちょっと懐かしい風景が、ものすごくおしゃれだ。これは、このフランス育ちの監督さんの映像なんだろうか。撮影は中国の方らしい。とても美しい。全てどこかのファッション誌から出てきたようだ。これはこの監督さんと美術さん、撮影さんの力なのか。
さて最大の問題は直子だ。この映画も「美しい人」を映像化しなくてはならない。非常に難しい課題だ。直子をどう描くか、誰がやるのか。私は香椎由宇さんあたりを思い浮かべていた。菊池さんは、バベルで見ていいと思ったけど、まさか直子だとは思わなかった。最初は違和感があった。ところがこの人、上手い。声も不安定な目線もそう。見ているうちにだんだん不思議な魅力を感じてくる。繊細で傷ついた痛々しい直子像がリアルに見えてくる。彼女が自分の心情を語り慟哭するくだりは、どーんと内臓をつかまれたように苦しくて、見ているのが辛い。彼女の心情が痛いほど伝わってきて苦しくなってくる。本で読んでいた時は「なんだかめんどくさい女だな」と思っていたのに、この映画では彼女を理解できた気がした。これには驚いた。原作とは違う人物なのかもしれないが(よく覚えていない)、これはこれで納得できる。これは菊池さんの演技力だと思う。
緑ちゃん。可愛い。かなり考えていた印象に近い。この人がほんとに可愛い。実は演技は棒なのだけど脚本の口調の固さとあいまってなのか、なんだか昔の青春映画の女優さんを見ているような気がした。(石原裕次郎さんあたりの映画に出てくる女優さんたちの話し方)これがいい。あまり多くの場面はなかったけれど、1場面1場面で、とても印象に残っている。原作でもこのキャラクターが非常に可愛らしくて大好きだったのだか、この配役はとてもありがたかった。ほんとに可愛い。小さい頭、毛穴のない陶器のようなつるんとした肌、ほんとに美しい。
さて、問題のワタナベ。平清盛の松ケン。顔は癖がある。ものすごく癖がある。手放しでステキなどという顔ではない。演技ももっさりしている。しかしいいと思った。このワタナベ、地方から出て来てまだ12年。真面目で青臭くて、未熟で、毎日戸惑いだらけなのだろう。純粋で若いからこそ繊細だ。自信なんてあるわけない。19歳なんてまだまだ子供なのだ。そんな普通の大学生を25歳の役者が演じている。いいと思う。最近の20代の他の俳優さん達を思い出しても、こんなもっさり感や戸惑いを出せる人はあまりいないのではないか。だから貴重だ。だってワタナベ君は60年代半ばの若者なのだ。もっさりしていて当たり前。配役、上手いなと思う。

全体に想像していたよりずーっとよかった。実はこの映画を見て「もしかしたら、原作の良さを理解してなかったのかも。もう1回読み直そうか」とさえ思ったほどだ。とくにレイコさんがらみのいやな部分をほぼ全部カットしてあったのがよかった。監督が脚本を書いているらしいのだが、フランス語で書いて日本語に書き換えたのだろうか。実は、極めつけというほど素晴らしい台詞がけっこうあったのだ。これは監督の原作の解釈から出た言葉だったのだろうか。だとしたらすごいもんだと思う。
ところで劇中、糸井重里、高橋幸宏、細野晴臣を見つけてすぐに、あ、この映画はただものではないのだなと思った。こんな団塊世代のインテリを連れてくるなんて誰のアイデア? もうこれでインテリおしゃれ枠は間違いない。いったい、どんな経由でベトナム(フランス)人の監督に撮らせることになったんだろう。ほんとに製作者全員が原作を愛して作った映画なのだろうと思う。それにしても、20年以上前のベストセラー。それだけに、深い思い入れのある人も多いだろうし、読者それぞれ独自のイメージがあるのも事実で、まあよくこんな難しい素材に挑戦したものだと感嘆する。素晴らしい結果だと思う。


2012年3月14日水曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第10回「義清散る」


うわー、コレは…、もう諦めよう。今年の大河に重厚さや真面目さや歴史的正確さを期待するのは諦めようと思う。いまさらか。痛いなあ…。期待していただけに…。

もう文句は言うまい。

平安の衣装やセットは相変わらず豪華だし、それはほんとに心から楽しんでいるけれど、脚本がお話にならない(大爆笑)。「義清散る」は「義清ご乱心」だ。もうね、トンデモ脚本、振り切れました。うわー。

義清、今回、たまこさまの首を絞めたり、いきなり可愛い娘を蹴飛ばしたり、なんだなんだなんだなんだ…なんなんだあれは…、脈絡いっさいなし。あれはただの変な人。いきなりキレるのかよー、おかしいですよー。それに鳥羽院も黙って見過ごしてくれたのに、自分から「オレは出家する!美しく生きたいのだ!」 え? 中宮を押し倒したり首を絞めたり、娘を蹴飛ばしといて何を言っているのよ…。それも吹雪のように桜散る中…(大爆笑)。清盛君、もうあと10回ぐらい殴っていいよ。

今回は主役の清盛君も脇。ほとんど宮中のぐだぐだで終わっちゃった。ありゃ~。

でもね、楽しんで見てます。結局日曜の夜8時、週の終わりにぼーっとして見る娯楽だと思えば、非常に面白く見れるのだ。非常に贅沢な娯楽だ。役者さん達はみんな素晴らしいと思う。子供の頃の記憶を頼りに、大河ドラマには「本格」とか「重厚」とかを無意識に求めてしまうのだけれど、実際にはいつの時代も、年寄りが若い世代の表現に文句を言いながら見ていたのではないか。同時代のドラマといえば大昔「草燃える」を楽しんで見た記憶があって、7年ほど前に総集編をDVDで見たら、やはりびっくりするくらい面白かったのだが、放送当時の大人達は、岩下志麻が「あなたぁ~」と甘い声を出すたびにを苦笑して見ていたと記憶している。そういうものなのだ。時代が変われば、その時代に合った演出や脚本というものがあるのだろう。
まあいいや。

今回の清盛君、出番が少なかったけど、十分大人になりました。多少癖のある役者さんなので、まだまだ何を出してきてくれるか予想が出来ないけど、楽しみにしたい。

義清のよく鳴く三毛猫はちとブサイクで可愛いな。しかし、得子は見るのが辛いですね。ああいう怒ってばっかりの女はきついな…、なんて私、十分楽しんでいますね、ふふふ



2012年3月6日火曜日

祝!Perfume グローバルサイト!


グローバルサイト、始まりました。祝!

このTwitter連動のプリシークエンスに、さっそく踊り始めたポリゴン3人娘。世界の中田のバリバリエレクトロ。MIKIKO先生の振り付け。いい感じです。イイカンジ!

まさにコレコレ。チームパフュームやりました! 海外仕様Perfume、ロンドン「HOT TICKET」まっしぐらという感じです。その意気込みたるや想像以上。気合入ってます。これほど、かわいいアイドル路線を封印してくるとは思わなかったです。だってPerfumeの顔一つ出てこないんだもの、このサイト。びっくりです。いいと思います。(もう少し彼女達を出してもいいと思うけど、これからですね。アメリカ人旦那Aはカッコイイと言っている)
それに、このポリゴン3人娘の後ろの、Twitter連動の日本語混じりのテキストは、ちょっと前の『マトリックス』を彷彿とさせるし、上手いなーと思うほんとに。あれは外国人から見たら日本語のテキストが入れば入るだけ近未来風にかっこよく見えるという。これにかかわったメディアアーティストの方々はそんなあたり、よく解っていらっしゃるんだろうなと思う。素晴らしい。

(ところで、このマトリックス風のテキスト。ファンの方がいろんな情報を見つけてきては書き込んでるみたいなので、じっくり読みたいですね。フランスでiTunes 22位とか、ほんと?)

曲もダンスもかっこいい。これは彼女達が実際に踊っているのを見たいな。この曲とダンスが海外でのショーのオープニングになるのかな…などと想像。5月に武道館で4日だそうですが、もしこれが、海外公演への布石だとしたら(沖縄が最後ということは、その武道館のセットを飛行機で飛ばすわけで、この動きも海外公演の移動テストだとも考えられる…)、この武道館コンサートでもこれをやるのかな…なんてこれはただの私の妄想。


いろいろと今回のことで、Perfumeの海外展開の事を考えていたのですが、このグローバルサイトを見る限り、この海外展開でのPerfumeは、近未来テーマだとかメディアアートだとかハイテク(イメージ)などのあたりにいるアーティストの方々のMUSE(ミューズ)または、メディア(媒体)となっているようですね。「彼女達を素材にして、日本の(視覚アートの)アーティストが大暴れをする。そしてそれを海外へも発信する」みたいな感じでしょうか。素晴らしいと思います。
もうPerfumeは、あ~ちゃん、かしゆか、のっちの3人のアイドルグループだけではなくなってきているんですね。以前から「Perfumeはアイドルかアーティストか」などと、よく議論がなされていたようですが、ここにきて現実はもっと大きな規模になってきていることに気付かされます。

よくPerfume本人達が、納得したなと思いますが、去年の年末「文化庁メディア芸術祭」で、Perfume関連のものが審査委員会推薦作品に選ばれたことも、こういうことに彼女達が腹をくくった理由かもしれません。彼女達本人がアイドルを超えたPerfumeのもう一つの顔「アーティストのMUSE(ミューズ、女神)」の立場を受け入れたのかもしれません。いいことです。素晴らしいです。もうこうなったら、いけるところまで行って欲しい。

彼女達にとって、この方向が自分達の「のびしろ」を伸ばすための最善の方法だと分かってきたのかも。いちアイドルがアイドルとして自分達だけでやれることは限られている。けれども、もし自分達を素材と割り切って、他のアーティストの方々の媒体となったら(PVもプロモーションもライブも、その他いろいろ…)のびしろはいくらでも伸ばせるわけです。音楽は中田さん、ダンスはMIKIKO先生。ここを押さえておけばPerfumeの土台は絶対にブレない。
もちろんPerfume本人達には「可愛い皆に愛されるPerfume」も大切だと思うのですが、これは日本での活動を今のままやっていけばいいのでしょう。キリン氷結のCMも綺麗で可愛いPerfume全開です。上手くやってるなと思う。
がんばれPerfume!!

★日本のオフィシャルサイトで、54カ国語のGOOGLE翻訳の選択肢があるのですが、この英語の自動翻訳、トンデモ翻訳です。元々の日本語の表記が曖昧なせいなのですが、BIOGRAPHYの趣味と特技の欄の英語は全く意味不明。歌のタイトルも「不自然なガール/ナチュラルに恋して」が "In love with Girl / Natural unnatural" とおかしな区切り方になっているし、「ねえ」は "Hey"になってます。DISCOGRAPHYも同様。これはいずれグローバルサイトかどこかで、曲名を統一した方がいいと思う。



2012年3月5日月曜日

NHK大河ドラマ「平清盛」第9回「ふたりのはみだし者」


面白かった。映像は改善しました。今回は煙が少なくて見やすい。音楽も良かった。それに今回は長い場面が多い。解りやすかった。人物の大写しも多数。表情がよく見える。もともと顔の大写しが大好きなのだ。皇子の誕生祝でのひとりひとりの表情がとてもよかった。この大河、役者さん達はとてもいいと思う。


今週のダメだし
★…実は私、この平安時代の知識がまったくない。上下関係も、常識も、時代考証も全く知らない。この時代の歴史上の流れさえ知らない。平安時代は、源氏物語で男女間が多少ルーズであると思っているくらいだ。このドラマも、おおむね何があっても楽しんでいる。…が、それでも感覚で「あれれ」と思う場面があったので、そのあたりを…。
●自分の息子のお祝いで得子さん、あんなことをあからさまに言ってもいいものか。そもそも正妻よりも席が上座でいいの?上品な宮中と思えばあのような場面は信じ難い。それに得子さん、たかが側室。自分の地位も上皇次第なのに、そんな国の最大の権力者に公衆の面前で(犬も見ている)恥をかかせていいものか?それに、本妻をなじり泣かせていいのか? 本末転倒では???自爆するぞ。
●義清はたまこさんに庭で、あんなにオープンに近づける身分なの?いいのかな?武士は犬だぞ。中宮に触ってもおとがめなしなの? 家宅侵入罪で逮捕されたりしないのかな?展開が唐突すぎる。
●清盛は、自宅であるとはいえ、皇族に刃物を抜いたら、逆賊扱いされるのでは?

…とは言っても面白かった。しかし、あの上皇を囲んでの痴話劇は喜んで見ていいのかわからない。御所であんな大惨事(笑)。ありえないと思う。けれども役者さんはいい仕事をしてると思います。配役もいいと思う。1場面も長いし、俳優の顔の表情を見ることが出来た。
それに、御所の様子はほんとに豪華。今回は煙も少ない。屋内の様子は非常に美しい。セットにお金をかけているのが見てて楽しい。崇徳天皇の奥さんは能面顔メイクだし。うれしいな。ごみごみした町の様子もいい。

…が、全てに賛同するのは難しいところだ。こういう痴話沙汰を喜んで、時代の常識やタブーを無視した大河ドラマが当たり前になってくることが、いいことだとは決して思えないからだ。これからこの大河がどういう方向に進むのか、全ては脚本家がこのドラマで何を描きたいのかにかかっている。出来れば、私のような無知な視聴者に、歴史をしっかり正しく教えてくれるような正統派大河ドラマの方がいい(そんなものは存在しないのかもしれないが)。


それはそうと、雅仁皇子(松田)は良かった。ちと言葉が聞き取りづらいけど。こういう格好がとても似合う。この人のまっすぐな鼻に丸い頬は昔の仏像の彫刻のようだ。清盛のもっさりした外見にくらべて、いかにも高貴な雰囲気。しかし、この人が自ら清盛に「キミは僕の曾おじいちゃんの子供なの?」と、なんともオープンな話しをしてびっくりした。あんなにあけすけなものだろうか。
ところで、前から書こうと思っていたけどたまこさまは、なんと綺麗なんだろう。この檀さんという女優さんには、ほんとに華がある。こういう平安の衣装と髪型がとてもよく似合う。まさにはまり役。いままで、こんなに綺麗だと思わなかった。うっとりするほど美しい。この、ふわふわゆらゆらした美しさ。そういえば顔の形もうりざね顔だ。あんなにいろいろと乱れているのに清らかでイノセント。ああこの人はほんとに、なんにもわかってないんだろうなーと納得する。この女優さんはものすごく上手いんだと思う今回、なんと「愛することがわからないの…」とお泣きになった。濃いな。素晴らしすぎる。上皇が彼女を忘れられないのもあたりまえだ。こんなに綺麗なんだもの。こういう不安定な女性は(上皇が)がっしり抱きしめてあげればそれでいいのに…。この大人の美しさで、ぜひ私の『妄想源氏物語』の藤壺をやっていただきたい。
たまこさまにせまった義清は、ちょっと棒だったと思うけど(恥ずかしかったのか)やっぱりイケメンである。(こういうところで喜んじゃいかんが)
清盛君は、パパにもなったし成長しました。感情の波がありますね。もう少し綺麗な格好をしたほうがいいと思う。ところで、最後のすごろくの場面。子供が2歳ぐらいに見えたのだけど、この1話で2年も経ったの?

ところで、NHKのサイトに行くと、「ひと目でわかる今週の朝廷!」というページが出来ていた。いよいよ本腰を入れて朝廷ダークサイドに突入するらしい。今回の視聴率、また下がったらしいのだが、これは、今週というより、解りづらかった先週の影響だと思う。毎回、前回の良し悪しが視聴率に影響するのでは。