能登半島地震 ─ 寄付・支援情報

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2022年1月10日月曜日

映画『ロスト・ドーター/The Lost Daughter』(2021):女であり母であり/悦びと後悔と





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『The Lost Daughter (2021)/ギリシャ・英・イスラエル・米/カラー
/2h 1min/監督:Maggie Gyllenhaal』
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数日前に見た映画。これもNetflixのおすすめに出てきて良さそうなので見た。これも賞取りシーズンでノミネートされている良作らしいし、中年女性の話ならなお良し。


中年女性レダが主人公。彼女はギリシャの海辺の町にホリデーでやってきた。イギリス人だが、現在は米国のハーバード大で文学の教授をやっている。48歳。一人旅。ビーチで出会った家族…若い母親ニナとその娘の様子が、過去のレダと彼女の娘二人を思い起こさせる。


中年女性がたった一人、ギリシャのビーチでホリデー。彼女は不機嫌で気難しそうだ。彼女がビーチで和んでいると騒がしい家族がやってきた。彼女はその家族を観察し始める。特に美しい母親と小さな娘に興味を持ったらしい。

映画の最初の20分ほどの彼女の様子を見て、これは女版『ベニスに死す』だろうかと思った。美しい母と娘を見て、中年の女が一人…海辺で哲学をするのかと思った。しかしそのような話ではなかった。

この映画は女の映画でした。

女性の作家(Elena Ferrante)の小説を
女性の監督(Maggie Gyllenhaal)が映画化

女性が女性を描く映画。

女とは…母であることと女であることの間で揺れ動く。



ネタバレ注意



ギリシャの海辺に休暇にやってきた中年女性レダが過去を思い出す。レダの若い頃のあやまち。レダは過去に不倫をして娘二人と夫を3年間捨てた。彼女に一生付き纏う後悔。


これは母親の恋の話。母親の不倫は罪…だと世間は言う。それは母親本人が一番わかっているはず。それならなぜ彼女達は母親でいながら恋に落ちるのか? いや母親であることと恋は関係ないのか?

母であること、女であることに引き裂かれる女性。


レダのストーリー

彼女は若くして結婚し子供を持った。子供はかわいい。しかし子供はぐずる。子供は四六時中母親に欲求し続ける。泣き叫ぶ。子供の欲求が満たされることは無い。子供は母親に「休憩」をくれない。それは永遠に続くようにも思える。母は子供の欲求に振り回される。

レダは優秀な女性。勤勉で常に上を目指し努力を続けてきた。自分を磨いて学んでもっともっと上に上る。彼女は博士号を取って教授になるぐらいの女性だ。レダには常に夢と野心があった。その彼女が今、一日中止むことの無い子供の欲求に時間を取られ続けている。

結婚して子供を持つのが早すぎた。

そんな時、大学にスター教授ハーディがやってきた。文学の世界では有名な教授だそうだ。彼女にとって彼は、ロックスターやスポーツのスター選手が身近にやってきたようなもの。そしてハーディーは彼女に個人的な興味を示してくれた。

ハーティはレダに「君の名前。レダとはprovocative(扇情的)な名前だね(=エロい名前だねと同じ意味)」などと言って誘惑する。

……レダはギリシャ神話の女性。全知全能の神ゼウスは美しいレダに惹かれた。ゼウスは自らを白鳥の姿を変えレダの元に舞い降り彼女と交わる……

そのハーディの誘いに若いレダも反応する。彼女はその頃、英国の詩人イェイツの作品『レダと白鳥』をイタリア語に翻訳していた。二人はインテリ同士の言葉で誘い誘われ酒に酔い、結局レダはその教授と関係を持つ。

まさかあの髭面の教授ハーディが白鳥だとは思えないが、それでも、それまで様々な理由で煮詰まっていたレダにとってハーディは白鳥のようにも見えたのかもしれない。全能の神ゼウスにさえ見えたのかも。大きな力のある魅力的な男がやってきて愛を囁いてくれた。


その場面。女として正直な気持ちを言うならあの場面のレダの気持ちは苦しいほどわかる。もちろん彼女は家族を裏切っている。しかし彼女の気持ちはわかる。彼女が頬を紅潮させ興奮するその気持ちの高ぶりはよくわかる。


ぐずる子供が原因ではない。子供がいるのにたまたま外の男性に惹かれた。誘われた。好きになった。そんなつもりはなかったのに。そして彼女は家を出る。子供を夫の元に残し家を出る。そして教授と3年間暮らした。

子供はかわいい。かけがえの無い宝物。家族を去るのは苦しい。決断力を要する。しかしレダは情熱に負けてしまう。そしてその後その事を一生後悔し続ける。

情熱は止められなかった。あやまちを犯す。3年間の夢。娘達に対して一生続く後悔。それでもいい。彼女の恋は止められなかった。


それにしてもレダは酷い女性なのですよね。子供にも夫にもひどい。許されるものではない。しかし彼女は自分を止められなかった。女性はず~っと我慢してある時ぱっと思い切ってしまう。そうしたら彼女を止めることはもうできない。そしてそんな「自分を止められない経験を持った女性」は、きっと結局は女である自分として後悔はしていない。周り中の皆を傷つけて全員に「こめんなさい」を言い続ける一生だったとしても、きっと女としての彼女自身はそのことを後悔していない。


昨今日本ではメディアやSNSで不倫をした者を糾弾する風潮があるようだ。不倫は罪。もちろんそうだ。しかし人にはそれぞれのストーリーがある。

人間は正しく生きるべき。それはまっとうな考え方だ。しかし人は「正しくあること」を指針に/人生の目標にして生きるべきではないのかもしれないとも思う。「正しいことの定義」は時代によって変化する。

しかし人の愛や情熱や喜びはどんな時代であっても変わらないものだ。

人が「正しいことの定義」のみに従って生きるのはむしろ問題だと思う。人間とは不完全なもの。不正確なもの。あやまちも犯す。しかしどんな時代にも、人間はそのあやまちを芸術として昇華してきた。人の人生にはエラーが起こる。バグもある。そんな人間のエラーやバグは、いつの時代にも文学や芸術の糧になってきた。



旦那Aがこの映画の最後に聞いてきた。

「若い母親ニナは、若い頃のレダと同じ間違いを犯そうとしている。レダはなぜニナを止めないのか?なぜ説得しないのか?」 実は正直私も同じ事を思った。しかし男の旦那Aが知りたがったから女の私はこう答えた。

「女にとって婚外の関係は、崖からジャンプするのと同じ。ものすごいリスクを背負う。それでもジャンプしてしまうのは、その瞬間、彼女達が無上の喜びを感じられるからだろう。気持ちの異様な高まり、興奮。熱情。それほどの喜びを感じることは他にないのかも。その喜びは何ものにも変え難いから。

レダが、若い母ニナを説得も止めることもしないのは、その喜びを彼女が一度経験して知っているからだろう。皆を不幸にしようがどうなろうが、情熱に駆られる女を止める事ができないのは、レダが自らの経験から知っている。

どうせ家は借りた誰かのアパート。鍵を渡せばレダに責任は無い。ニナはニナのやり方で勝手にやればいい。女は皆それぞれだから」



いろいろと書きましたけれど…情が薄く堅物な私が想像で書いている。女成分の強い女性とはそのようなものなんだろうね…と憧れとともに眺めたりする。

この…女が描く女の映画の主旨はそのようなものなのだろうと思うけれど、それにしてもサスペンス風味で、時々理解できないシーンがあったのは戸惑った。

松ぼっくりは木から落ちてきたのか?それとも誰かが投げたのか?
レダはなぜ人形を盗んだのか?盗んだシーンが無いから、私は誰かが彼女のバッグに人形を勝手に入れたのだろうと思っていた。
それにレダはなぜ人形を家族に返さなかったのだろう?
そして最後のシーン。レダが刺された後で何時間も過ぎた朝、海水に漬かった状態のまま目を覚まし、彼女はまだ生きていて、その上で娘と電話で話している。あの最後のエンディングが全くわからなかった。もしかしたらレダは刺された傷で瀕死の状態で幻覚を見ているのではないかと思った。


女とはなんだろう…と色々と考えさせられた。私はレダのような経験をしたことはない。それでも彼女のような女性を非難することはできない。人間のエラーは浪漫でもあると思いたい。子供がいないからそういうことを考えるのだろうと思う。


監督はインテリ・セクシー女優(そんな印象)のマギー・ジレンホールさん。女成分の強そうな女優さん。彼女にはすごく女哲学がありそうだ。初監督だそうです。脚本も担当。すごいね。

女優さん達も素晴らしい。うまい方々。

2時間の長い映画なのに中だるみもなく惹き付けられた。
やっぱり女を描く映画は面白い。